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七、白拍子

酒に酔い、もしくは女に酔っていた煉央村の住人達は、いきなり耳元で銅鑼を鳴らされ飛び起きたような
突然舞い降りた現実の参上に戸惑い、慌て、混乱していた。
村の一軒が燃えたのが発端で、ただの火事ならどうとでもなったのだが、
焔の中から鬼が湧いてきたのだ。
起きながらにして夢から覚めた住人は悲鳴を上げ鳴きながら逃げるが、体躯が人間の倍以上ある四足歩行の鬼にあっさりとおいつかれ
ある者は頭から喰われ、ある者は脇腹に食らいつかれる。
檻の中の餌に成り下がってしまった人間は、狂乱し発狂し、さらに泣き喚きながらただ走る。
もはやどこへ逃げたらいいかわらかぬ頭になってしまった彼らの波に押されながら、沙希は炎が上がる小屋を目指していた。
鬼から逃げる住人の狂気の方が恐ろしい。その顔はどれも断末魔を描いていたからだ。
不規則の波に逆らいながら走っていると、左手の木造小屋の壁が内側から吹き飛んで、鬼が一体現れた。
顔を見せるなり、手近にいた逃げまどう男性の胴体にかぶりつく。
沙希はいつの間にか握っていた刀でその鬼の肩から胸に袈裟斬りにする。
鬼は人間の声帯とはまるでちがう、野生の獣丸出しの悲鳴を上げ倒れた。
腹部に牙を差し込まれた男性も一緒に地面に転がる。


『沙希、ここは人が多すぎるよ。』
「動き辛さは仕方が無い。玉〈ぎょく〉を斬らなきゃいつまででも溢れてきちゃう。」
『焔を媒体にしてるようだが、赤はこないだ斬ったばかりだろ?』
「ならば黄だろう。」


喋る刀の柄を握り直し、沙希は崩れた家の屋根に上り、更に隣の屋根へと屋根伝いに移動する。
五軒家を伝ったところで、着地した足場の脇から赤い隆々とした筋肉の腕が突き刺さってきた。
嗅覚で沙希の場所を探ったのだろう、目標を定めた腕が細い足首を掴んだ。
そのまま下に引きずり落とそうとするが、沙希は素早くしゃがみ込み足が家屋の中に沈む前に腕を切り落とした。
本体と分かたれても足首を掴み続ける鬼の手を蹴り落とし、次の家に飛ぶ。
住人の悲鳴が随分減った。半数以上は狂乱しながらも本能で上手く逃げたのだろう。
屋根の連なりが途絶え、次の屋根まで一丈程離れていた。
が、沙希は迷いなく飛ぶ。弧を描く体が無事次の屋根に着地しようとした直前、彼女の体が横から飛んできた赤い塊に体当たりされ
足の上に体重が乗ることなく地面に落ちていく。
背中を強打するまえに腹に食いつこうとしている鬼の顔を蹴り、下から上に斬り付けてから可憐に着地。
続けて、体を捻り後ろから襲ってきた鬼を視認する前に斬り、屋根の上から飛び降りてきた鬼の腹に刀を突き立て襲撃を阻止する。
また囲まれる前に土の上を走る。
村のほぼ真ん中にある広場に出ると、横幅が大分広くなった建物との間に、赤く煌々と燃え輝く珠が浮かんでいた。
沙希の顔より少しだけ大きな珠の本体は、黄色い。


『黄色は二葉が封印してなかった?』
「やはり人間に監視は無理ね。斬るわ。」
『上だ沙希!避けろ』


刀の声に、沙希は本能で左に飛ぶ。
頭上から無数の火の玉が落下してきた。
火の玉は建物と鬼達に容赦なく降りかかり、衝突した鬼は火にあぶられ灰と化してしまった。
避ける、もしくは斬って避けた沙希は空を仰いだ。
浮遊していた黄色の玉が消えている。
夜宵の空に、白い装飾を纏った男がゆっくり降りてきた。
白水干、袴は膝の下で縛ってあり、手には錫杖、顔には不思議な文様が描かれた紙が貼ってある。
白くはないのは肌と男の髪ぐらいだ。
男はゆっくりと半壊した合掌屋根の先に立ち、沙希に顔を向けた。


「鬼妖か。」


顔は紙で覆われているため表情はわからないし、こちらをちゃんと見ているかすらわからないが
声はしっかりと敵意を込めて沙希に降りかかった。
男はまだ若いのか、声は川のせせらぎのように清廉で響きは甘くもある。
だが、遠く離れている沙希の肌を突き刺す殺意に刀を握る手に力が入る。


「玉に引き寄せられた鬼は殲滅した。残るはお前だけだ。」


目が見えぬのに、紙越しにでも射貫かれる視線に背中に汗が流れるのがわかった。
本能が、鬼の血が、彼はヤバイと告げている。
踵を返して逃げても背中をつきされるのもわかる。
斗紀弥もそれを感じているのか、僅かに刀身がカタリと音をたてた。


「・・・私は人間を襲ったりしない。」
「鬼の血が流れる限り殺す。」
「待て白拍子!!」


場を支配していた緊張をその身で破るように、盗賊の頭が走ってやってきた。
沙希の少し離れた場所で止まり、真白の男を見上げる。
その表情は、やや緊迫していた。焦りもある。
お面の顔が、頭を見る。


「三ノ宮、こんなところで何をしている。宮様のお近くを離れるとは。」
「訳は後でいくらでも説明する。その娘を殺すのは待て。」
「俺の耳は誤魔化せないぞ。恐れ多くも、宮様を殺すなどと妄言を吐いていたな。身の程しらずの鬼だ。」
「だが殺意は感じられなかった。事情を聞いてからでも遅くはない。」
「庇い立てするな、若葉。いくら三ノ宮でも謀反とみて殺すぞ。」
「何か知っている口ぶりだった。吐かせてみた方がいい。」
「問答無用。」
「瑛人!!」


頭の抗議も聞き入れず、白拍子は右手にしていた錫杖を左肩の前まで持ち上げ、一気に振り下ろした。
すると広場にすさまじい威力の旋風が起こった。
足を踏ん張っていても体がジリジリと後退していき、腕で顔を守らなければ息も出来ない風圧。
頭が風の中で白拍子の名前を叫んだが、暗闇からやってきた用心棒の豊に抱えられ、どこかへ避難させられた。
豊という男がこの風圧の中に入って、素早く動けた理由を考える間もなく白拍子が沙希の眼前に迫ってきた。
頭上から振り下ろされる錫杖の一撃を刀で受ける。
まるで金棒で殴りつけられたような重みに腕が痺れた。
細腕では払うことが出来ず。二撃、三撃と振り落とされる攻撃を受け続けるしか出来ない。
防戦一方の沙希の脇腹を錫杖の長い柄で叩くと、沙希の体が飛び家屋の壁に激突、突き抜けて家の中に転がる。
酒やつまみがのった机を巻き込み床に転がる。徳利に残っていた酒が髪にかかって酒臭くなる。
自分が開けた穴の向こうで、白拍子が絡繰り人形のような最低限の動きだけでこちらを向いた。
体に巡る血が騒ぐ。興奮しているのではない。逃げたくてもがき喚いているのだ。


『なんだよアイツ!』
「斗紀弥、落ち着いて。大丈夫。」
『大丈夫なもんか!』
「逃がしてくれるような相手じゃないことは斗紀弥も感じてるでしょ。力を貸しなさい。」


恐怖に戸惑う斗紀弥を諭し、沙希は左手の壁を自ら壊し、建物の裏を走る。予想通り白拍子が家を挟んで追ってくる。
二軒分走ったところで、家と家の間から見えていた白拍子の姿が消えた。
本能的に沙希の足が止まり、背中を守るように刃を後ろに構えた。同時、金属音が耳から手から反響する。
顔だけ振り返ると、不思議な文様の紙を貼り付けた白拍子の錫杖の先端が刀の刃に当たっていた。
あと数瞬遅ければ背中から心臓にそれが貫通していただろう。
間近で見ても白拍子の表情は全く覗けないが、強い殺意は全身からしみ出ている。
背後からの一撃を受ける腕に痛みが走ってきた。
無理な格好で受け止めたせいで、払うにしても僅かに隙を作ってしまいそこを突かれるのはわかりきったことだ。
再び自ら動けず防御に徹するしかなくなってしまう。
白拍子が僅かに体重を後ろに移動刀に押し当てていた錫杖の力を緩めた。
沙希は地面を強く蹴って真上に飛び上がる。白拍子が引いた錫杖の先端が空中の沙希の眉間に迫る。


「斗紀弥!」


沙希の刀から赤い炎が吹き出し、屋根の縁まで伸びると、沙希の腹部に巻き付き屋根の上まで持ち上げた。
間一髪。沙希がたった今立っていたすぐ脇の壁に錫杖で突き刺しただけとは思えないヘコみが出来、中心は粉々に砕けていた。
壁から錫杖を引き抜いた白拍子が上を向く。
そこにはもう黒髪の少女はいない。何の予備動作もなく飛び上がった白拍子も屋根上に上がる。
炎上していた民家数軒はまだ燃えているが、盗賊の一味が鎮火に当たりだしたのでそれ以上火の手を広げずに済んでいる。
夜を照らす赤い炎と空へ上る濁った煙が充満した一帯を紙で覆われた顔でゆっくり左右に見渡す。
ー額の上の方から落ちてきた飛来物を錫杖で振り落とす。手のひらでは余る動物の牙だった。
牙は屋根の上で跳ねると赤い粒子となって消えた。
天へと昇る煙の向こうから、雨の如く牙が立て続けに降ってきた。
槍舞踊でも披露しているかのような優雅さと的確さで牙を全てたたき落としていく白拍子の足下から
蒸発する赤い粒子が舞い上がる。
牙が増え、体の前で錫杖を回し弾き出した時、彼はその紙の下から、足下で満ちた粒子こそ罠だと気づいたが遅かった。
粒子同士の接触で僅かな静電気が起こり、蓄積された静電気が一気に爆発した。
既に炎で明るい煉央の村がまばゆい閃光に包まれ夜から切り離されたかのように浮かび上がる。
村の外れにいた沙希は走る足を止めて振り返る。
山から流れる川を眼下にした崖の縁で、水音に己の足音を消してもらっていた。


「あの頭から話を聞きたかったけど、仕方ないね。」
『今は逃げよう。僕もうアイツと対峙するの嫌だ。』
「そうだね、あの人とても嫌な感じがーー」


薄暗い本来の夜に包まれている村はずれにいる沙希の目の前に、真白の影が落ちてきた。
驚きで反応が遅れ、錫杖の石づきで左腕を傷つけられる。
右手で下から上に斬り上げるも、苦し紛れの攻撃は安易に避けられ今度は右胸の少し上を
錫杖の先端で突き刺され背中まで貫通する。
刀状態であるため斗紀弥が赤い疑似炎を出して威嚇するも白拍子は身動ぎせず錫杖を更に沙希の体内に押し込む。
沙希は悲鳴を漏らすことなく、己に刺さる錫杖の柄をぐっと掴んだ。


「鬼はしぶとくていかんな。」


そこに心臓がなく、致命傷にはならないと察した白拍子は、沙希の手を無視して錫杖を引き抜き、今度は胸の真ん中目指して振り落とす。
尖ったその先端が沙希に胸の上を掠めた。
彼女の体がゆっくり傾き、後ろに弧を描き激流の川の中に吸い込まれた。
崖は高さがあったので、彼女が着水した衝突音が聞こえなかった。川の音がうるさいせいもある。
眼下をにらみつけるようにして身を低くしていた白拍子の肩を、盗賊の頭ー若葉が止めた。


「この高さじゃ助からない。万一生きてたとしてもあの傷だ、出血死だろう。」
「死体を確認しなければ気が済まない。」
「血のにおいを纏いすぎだぞ瑛人。桜ノ宮は殺生を嫌っている。」
「・・・。」


低くしていた体を戻し、白拍子は地面を一蹴りしただけで真上に浮遊する。
空中で体を翻し、若葉を見下ろした。


「水宮の儀が近い。もう宮処に戻れ。」
「わかっている。」


夜とは真逆の真白をまとっている男は、恐ろしいほどすんなりと夜に溶けて消えてしまった。
急に鬱蒼とした夜の憂いが降りかかり、残された若葉は足下の激流を眺める。
川に削られた鋭利な岩肌、緩やかな場所などない激しい水流。もう生きてはいないだろうが、
彼女が桜ノ宮に固執し殺すとまで断言していた理由が聞いてみたかったとも思う。
色の違う両の目を閉じ、若葉は踵を返して荒らされた煉央村に戻った。




 

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