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八、二ノ宮

二ノ宮・如月家の白月殿は吹き抜けの高床寝殿造で、内側に柱がなく、格子や御簾で仕切られているわけでもない。
舞殿や催しの間、はたまた役人を大勢集めた会議も行えそうなのだが
邸の主人はこの御殿の階(きざはし)の前付近に畳を敷き、2枚の屏風を立て文机を敷いた簡易個室を作っていた。
他の空間は、ただの風の通り道。
主人・如月斎は畳の上に敷物を敷いて、腕を枕にして横に寝そべっていた。
文机の上や下には色とりどりの巻物や書物が散乱し、これに紛れて菓子や子供の玩具も置かれている。
広い白月殿の一角は、高貴な身分の私室とは思えぬほどに散らかり放題だった。
庭の砂利を踏み鳴らしながら、勿忘草色の狩衣を纏った黒髪の男がやってきた。
階を昇り、御簾で隔たれてるわけでもない開けっ広げな散らかったその空間を見て、深いため息を長いこと吐いた。


「文句あるのかい、誠ちゃん。」
「ありません。ありませんとも。此処は貴方の邸なんですから、好きにしてください。」
「お、ついに折れたか。」
「呆れ果ててしまったんですよ。」


黒髪の若い男は、畳の上に登りだらしなく横になる主の足下で膝を折って座った。
表情がやや引き締まる。


「神祇官様から三神招集のお達しが届きました。」
「へー。玲子が三人を集めるなんていつぶりだろうね。」
「神祇官様の名を呼び捨てとは、本当命知らずですね貴方。」
「古い友人の間に身分などないさ。で、議題は?」
「明記ありませんでした。ですがおそらく、桜ノ宮についてでしょう。」
「当然か。国政について決めるために俺たちを呼ぶわけないしな。」


二ノ宮は敷物の上で腕を伸ばし、菱台の上に乗った菓子を一つつまみ口に放り込む。
従者は主人が何か思案しているのだと察し、黙ってまずは手近な巻物を集め出す。
彼の主人は片付けが大の苦手でだらしがなく、身分不相応の態度と言葉遣い、生活を好みなにより飽きっぽい。
しかし、転がっている書物はどれも重要案件の文や資料で学の無い人間にはさっぱりわからない内容ばかり。


「若葉クンから面白い話を聞いたよ。」
「三ノ宮様が?文を寄越すなんて珍しいですね。」
「いや直接さ。清龍殿での宮集いで会ったから少し話した。彼最近、未来を予言出来る女の子を拾ったらしいよ。」
「拾ったって・・・猫じゃないんですから。」
「確かに語弊があった。正しくは向こうからやって来たそうだよ。お告げに従い貴方の元へ、って感じらしい。」
「盗賊の次は占いでも始める気ですか彼は。」
「ハッハ。幼い予言者は本物らしい。ま、あの若葉クンが近くに置いてるんだから、贋作なわけがないけどさ。
桜姫の現在を見事的中させ、俺たち三神しかしらないような事情も当てたそうだ。」


片付けていた手を止め、目線だけ鋭くした従者が寝転がる主の横顔を見た。
声は冗談めいているが目元に力が入ったのを目ざとく気づく。


「なるほど。もっとも重要で恐るべき真実も見抜かれたと。宮の星読が聞いたら怒り出しそうですね。」
「彼らが本物ならその少女の出現も読めてたはずさ。火を使う半人半獸の次は予言者の少女か。
若葉クンの周りは賑やかだ。」
「あの方自体特異ですからね。三ノ宮家の宿命とはいえ、半人半妖。普通の人間とは縁の繋ぎ方が違うのやも。」
「フフフ、誠から縁なんて言葉を聞くとはね。」


主は寝転んだままぐるりと向きを変え、今度は従者の方に体を向け意地の悪い笑みを深めた。
切れ長の目がにやにやと何もかも見抜いてきそうで居心地悪くなり、背筋を伸ばすと咳払い一つこぼした。


「三ノ宮様の話と、三神招集がどうつながってるというんです。」
「目ざといね。」
「貴方は関係の無い話はしませんが、無駄に遠回しを好みますからね。」
「さっすが誠ちゃん。」
「その予言者の少女の危険性でも問う気ですか、神祇官様は。」
「まさか。玲子は基本放任主義さ。じゃなくて、桜姫がー」
「ねぇ斎さん、薬もらえないかな。」


突如割り込んできた若い声に、二人は同時に濡れ縁の向こうを振り返った。
高欄がない廊下に肘をついて、体は庭に立っていたのは茶の髪をした青年。
長い前髪のせいか、少女のようにも見える。
話に割り込んできた訪問者に、隙の無い主人も余裕を無くし真顔になっていた。
先に緊張を解いたのは従者の方だ。


「真人・・・また勝手に入ってきたのかい。」
「此処の警備緩すぎるよ。」
「如月家の防人を化かせるのは君か一ノ宮ぐらいだよ。入っておいで。」


主人である斎も普段の調子を取り戻し、体をお越し座り直すと脇息に体を預け訪問者を招いた。
美しい着物であつらえた狩衣を纏う二人とは違い、小汚い着物と袴をきた青年は、草履を脱いで白月殿に上がり
主人のくつろぎの間であぐらを掻くと、勧められるまま菓子を頬張る。
従者はため息を一つおとしながらも、客人のために茶を煎れてやる。


「それで、薬って、誰か怪我でもしたのかい。」
「川から流れてきたんだよ。髪の長い女の子。酷い怪我でさ、熱もある。」
「また訳ありな人間を拾ったもんだね。」
「真人、君の友達に薬売りがいるじゃないか。彼の薬はよく効くだろう。」
「うん。大和の腕は一流だ。でも駄目なんだよ、あれは人間用だ。あの子、鬼憑きだから、人の薬は効かない。」


斎と誠の表情がまた一気に固くなった。先程より険しいかもしれない。
菓子に続いて大福を頬張りだした真人に斎が身を追って鋭い声を向けた。


「鬼憑きを助けたのか。」
「助けたのが鬼憑きだったんだよ。」
「白拍子に見付かったら一大事。いや、君の身が危ない。」
「その白拍子にやられたっぽいんだよね。瑛人も容赦ないんだから。」
「今すぐ家に戻りなさい真人。」
「放ってはおけないよ、誠さん。」
「鬼憑きは人間だか鬼に近い。鬼妖になった人間は限りなく鬼だ。人間を襲わなくとも君には側にいるだけで害だ。
その少女はこちらで面倒みるから、君は孝仁のもとに戻りなさい。」
「嫌だよ。」
「真人、」
「無駄だよ兄さん。真人は頑固で自由気ままなんだから。」


初夏のひんやりとした冷たい風のような声が届いた。
枯山水の庭を横切って端麗な顔をもった水色髪の青年が白月殿の階段を上がる。
顔は美しいのだが、表情はどこか物憂げで退屈そうにも見える。
髪の色と同じような長衣を纏い、優雅な仕草で邸の主である斎の前、少年の隣に腰掛ける。
菓子を頬張っていた少年はやってきた斎の弟ににっこり笑いかけた。


「久しぶり、奏多。」
「真人は相変わらず元気だね。」
「のんびりと会話してる場合じゃないよ奏多くん。君も真人を説得するのに加勢しなさい。」
「無駄な労力は使わない。」
「淡泊な我が弟よ。真人が融通の利かない子だとは知ってるが、鬼憑きと一緒にいるのはマズい。非常に。」


やや真面目な兄の視線をまっすぐ受け、表情のまま首だけ真人に向ける奏多。


「状況はよくわからないが、その女の子になにか感じるところがあるのかい?」
「わかんないけど、放ってはおけない。かといって、大和に預けとくと、何かあったとき大和と大和の弟に迷惑かける。」
「その何かがあったとき、真人に怪我でもあったら孝仁も桜姫も悲しむよ。君は、孝仁を困らせていいの?」
「・・・」


言葉もまた淡泊である奏多の問いに、真人は顔を伏せた。
長い前髪が目にかかり、影を差す。
しばらくして、真人は顔を上げた。


「わかった。薬だけ届けて、後は大和に任せておく。ただし、斎さんは手出し無用、告げ口も無しでお願いしたい。」


愛らしい子ウサギが獲物を刈る虎に変身したかのように、少年は纏う空気も目の鋭さも豹変させた。
栗色の落ち着いた色合いの瞳が、鷹の目にすら思えてくる。
肩にのし掛かる圧力は、細身の少年が発するには不相応。
気づかずぬうちに萎縮していた体と心を無理矢理取り戻し、斎は胡座をかき両の拳を敷物に当てると頭を垂れた。


「仰せのままに、我が君。鬼憑きの少女の事はこの二ノ宮の心の内に。」
「ありがとう。でも我が君はやめてよ。僕は桜ノ宮じゃないんだから。」


一瞬で圧力を解いた少年は、無邪気に微笑みながら菓子を口に頬張った。





 

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