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幕間一.宮処中核の殿・桜殿

渡殿の冷たい板を走る、走る。走りながら刀を振るう。
黒子のような格好をした人擬きの下級護衛は体を切断されると黒い灰となって消えていく。
下級と言っても貴族が雇う防人よりずっと強い。
渡殿の板や柱は真赭(まそほ)色で塗られており、桜殿の呼び名にふさわしく桃色で統一された幻想的な廊下だった。
長い長い一本の廊下の他に何もないせいかもしれない。
両脇には砂利が敷き詰められた庭がひろがり遠くに桜の木が乱立しているが、建物も壁も何もない。
向かってくるのは黒い人型式神のみで、声もない。
沙希が発する息づかいと布が擦れる音だけ。
それから、桜の花弁が風に擦れるもろく細い音だけ。
どれくらい走ったのか、長い長い廊下はまだ終わらない。
此処がとっくに現実と切り離された異空間なことには気づいていたが、無限に廊下が続くだけとは思えない。
彼女にはわかっていた。この先に必ずいる。桜姫が。
沙希は懐から青い珠を出した。手の平に収まる小さな硝子玉は水のように透きとおり、仄かに青を纏っている美しい工芸品。


「汝に命ずる、我、“あるはずもない者”也。」


沙希の声に応じたかのように、珠が光り出した。


「柵を喰らえ、空を壊せ、閉じられた扉を開けよ。」



右の手に珠を持ち、左で握る刀で前方から飛びかかってきた黒子を袈裟斬りにする。
続けて左右から二体、後方から一体飛びかかってきたが、珠が発する目映い閃光に焼かれ消えてしまった。


「逆巻け、逆しま、案ずるなかれ、我は“あるはずもない者”也。」


渡殿を囲むように霧が発生した。
真白の濃い霧が視界を覆い、白が無色に感じられるほど境界線も存在も消されても
沙希は走る足を止めなかった。
やがて霧が晴れる。
色がゆっくり世界に降り立ち始めたので、沙希は走る足を緩める。
波のように引いていく霧の向こうにあったのは、巨大な樹木だった。
その幹は大男五人が並んでも足りないぐらい太く逞しく、壮大であり偉大であった。
大木が身につけているのは桃色の花弁で、およそ桜の木とは思えない。
桜はもっと儚くか細くあるべきであろう。
儚さを漂わせる花弁は風に揺れ、境界線が曖昧な桃色を踊らせている。
太すぎる幹の上にあっても可憐さは失わないのは幸いか、傲慢か計りかねていると
巨木の前に長い髪の人物が立っているのに気づいた。
霧に紛れて姿を現したのか、玉が導いたのか。
右手の玉にはヒビが入ってしまっていた。それを懐に仕舞い直してから、沙希は刀を握ったままその人物に近づいた。
白い上掛けに桃色の着物を着て、腰より長い茶の髪を風に揺らすその人物は、振り向かずに沙希に語りかけた。


「此処にお客様がくるなんて、何十年ぶりかしら。いえ、何百年の間違いかしら。」


刀の刃が届く距離を計って、沙希は足を止める。
繊維のように繊細で美しい髪の流れが見える距離。
そして、その人物が少女だというのがわかる距離。
少女はゆっくりと振り向いた。
白いきめ細かい肌、柔らかそうな唇はほんのりと赤く、栗色の瞳は桃色の世界に淡く輝き幻想的であった。
化粧のしていない唇をつり上げて、少女が微笑んだ。
世界の染みであるかのように真っ黒な出で立ちをした無表情の少女に向けて。


「こんにちは、沙希。」
「・・・。」
「私を殺しにきたのね?」
「違うわ。」
「桜姫を殺しに来たのでしょ?」
「貴女は桜姫じゃない。」


左腕を水平に持ち上げ、鋭い刃の切っ先を少女に向けた。
同じく鋭い沙希の眼光を受けても、少女は優雅に微笑み続けている。


「貴女は、誰?」
「桜ノ宮。」
「違うわ。」
「あら、どうして断言できるの?」
「桜ノ宮は役職名で、桜姫とは同語。同一人物のはず。私が知ってる桜姫は、貴女じゃない。」
「残念ながら沙希。私は紛れもなく桜ノ宮であり桜姫。この御神木を守り育てる神子。もしくは、その子供。」
「違う。」
「強情ね。あの子にそっくり。」
「あの子?」
「私の子。」
「桜姫は人間ではない。子供は産めないはず・・・もしや貴女、因果!?」


愛らしく微笑んでいた少女の口角が不自然なほど上につり上がる。
少女の背後から強い風が天へ吹き上げ、桜の花びらが無数、巻き込まれ花吹雪が沙希に襲いかかる。
目を開けるのがやっとの視界で、ほとんどが花びらに覆われながらも、妖しく笑う少女を見失わないように
しっかりと両の足で立つ。もはやどこが天でどこが地だか感覚が麻痺していた。
この異空間のせいだろう。


「因果、理、真理。なんとでも呼んで頂戴。でも今は、私が桜姫。」
「世界を歪めたな!?」
「正しくは時を。」
「貴様っ・・・!時を統べる雨条から玉を奪ったのはお前だったのか!桜姫を返せ!」
「さあ、雨条の娘よーー」


少女は両の手を広げ、白い袖が風にはためく。髪も、花弁も。


「時を正しく戻してみよ。絡まる糸を渡り続け、桜姫を殺してみなさい。そしてこの私を。
だが渡る度記憶は消える。全てが零から始まり落ちる。何も持たぬまま始め、たどり着いてみせよ。」


視界がぼやけ、世界が桃色に飲まれた。
甘い匂いに包まれ、柔らかな風に抱かれながら、沙希の意識がそこで途絶え、また始めに戻された。













 

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