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九.天御影(あまみかげ)

火有珠国の首都、政の中心地天御影。
街の真ん中に各役所の建物や貴族の住まいが密集しており、塀でぐるりと囲まれている。
塀の外は商人が集い賑わい活気があるのだが、現在、警備の防人で溢れていた。
腰に刀を携え手に混紡を持つ屈強な肉体を持った男達は、通りを徘徊しながら
険しい顔で通行人や建物の影を睨んでいた。
治安がよく監視の目が行き届いている天御影において、こんなに緊張に包まれることは稀である。
塀の一番近い大通り、朱雀通りに店を構える食事処・春鷺の給紙が格子の向こうを通り過ぎた防人達を見てため息を吐いた。


「全く。あんな難しい顔をして通りを歩かれちゃ、お客が入りづらいじゃないか。商売あがったりだよ。」
「いやいやー。美也子ちゃんの笑顔のためならオラァ防人なんか怖くなかったぜい?」
「あら、ありがとう。」


常連客の軽い冗談を軽く流して、また格子の向こうを見る。
と、暖簾を右手で持ち上げ客が二人入ってきた。
看板娘都は咄嗟に笑顔を作る。


「いらっしゃい。空いてるところに座って。」


店内を見渡した客人が窓際の席に腰を下ろしたのを確認すると、台所から呼ばれ
注文のうどんを盆に乗せて、店内の一番隅、薄暗い机にそれを運ぶ。


「はい、お待たせ。」
「きたきたー。たまに食べたくなるんだよね、此処の月見うどん。」
「お坊ちゃんのくせに、味覚は貧乏人よね、斎くんったら。」
「本当は美也子の顔を拝みにきたんだよ。」
「フフ。お世辞言っても卵はおまけしないわよ。」
「それは残念。」


金色の髪を後ろで束ねたその客は箸を割って、早速うどんの上に乗った卵を割って麺と絡める。
また店の前を通り過ぎる防人が、格子の向こうから店内をにらみつけながら歩き去って行った。


「今朝からずっとあんな感じよ。嫌ねー。斎くん、何があったの?」
「俺が知るわけないでしょ。」
「二ノ宮の当主じゃない。」
「宮家は政とは無縁だからね。」


うどんをすする男は端正な顔をしているが、切れ長の目は鋭さより嘲笑が目だつ。
男の合い向かいに腰を下ろして身を乗り出した美也子は、内緒話をするために声を潜めた。


「常連さん達が言ってるわよ。天御影に鬼が入ったんじゃないかって。」
「美也子の方がよっぽど物知りだね。」
「首都だけじゃなく近隣村に配置されてる防人まで警備にあたってるって話よ?」
「鬼は防人には斬れないじゃないか。」
「だとしても、此処は役所や宮家が集まってるんですもの。鬼か、鬼同等の警戒が必要な相手が進入したってことでしょ?
斎くん、こんなとこで月見うどん食べてる場合じゃないわよ。」
「俺にとって侵入者より月見うどんを食しながら美也子と言葉を交わす方が重要さ。」
「はぁ~。」
「大きなため息はかないでよー。七味とって。」
「はいはい。誠ちゃんも苦労してるんだろうなと思ってたとこ。」
「愛しい美也子の弟君は実に素晴らしい。」
「こき使われてるのがよくわかったわ。あ、」


七味を手渡しながら、先程入店した客と目が合い席を立つ。
注文が決まったらしい。
焼き魚定職とおしるこの注文を厨房に伝え、また店内に戻ると、月見うどんを食べる男の机に
青髪の男が腕組みをして座っていた。
座っていても長身であることがわかり、がたいのいい体で顔は凜々しく整っている。
紺の着流しをまとってはいるが、上物のあつらえ品であるのは一目瞭然。


「孝仁くんいらっしゃい。久しぶりね。」
「ご無沙汰しております。」
「やだ、そんな固い話し方よしてよ。」
「そうそ。巫女をやめて汚い・・・おっと失礼。質素な食堂の給仕をやってる物好きな令嬢に礼儀は必要ないさ。」
「言葉がとげだらけよ斎くん。」
「巫女をやめるというから、てっきり俺の元に嫁いでくれるんだと思ってたら、市民の暮らしを知りたいとか言いだすんだもの。」
「嫁ぐのはいつでも出来るわ。・・・それより、孝仁くんまで御所から抜け出して、どうかしたの?」


腕組みをする青髪の男は、チラリと格子窓の向こうを覗く。
防人が三人、通りの分岐を右に折れたところだった。


「あの防人達を配置したのは瑛人だ。」
「白拍子が?」
「わざわざ神祇官を通して近衞府に要請したらしいと尾身が知らせてきた。」
「じゃあ本当に鬼が入ったか、この天御影に。結界を超えてくるってことは、よっぽどの大物だ。やっぱり狙いは・・・」


その先は言葉にしなかったが、孝仁は頷き、眉間に皺を寄せた。


「瑛人が警戒しているし、宮様にたどり着くことはないだろう。…問題は、真人がいなくなった。」
「うそぉ。水宮の儀の真っ最中じゃない?」
「禊ぎの前に太一の目を盗んでどっかに行ってしまった・・・。今若葉に探してもらっているが、斎さんの力も借りたい。出来ればー」
「それで此処にきたのね。」


申し訳なさそうな色を含んだ目に見上げられ、美也子は苦笑を浮かべた。


「鬼が本当に進入してるなら一刻も早く見つけ出さなくてはならないんです。」
「穢れは移らないにしろ、確かに接触すれば危険ね。あの子、本当に自由奔放ね。」
「どういう教育してきたのさ、孝仁くん。」
「返す言葉もない・・・。水宮の儀を抜け出すなんて、今まで無かったことだ。」


厨房から呼ばれ、美也子は話の途中で抜け出し
あんみつと魚定食を窓際の席まで運ぶ。
荷物は少なかったが、此処の土地の人間ではないことは一目瞭然である。


「あんみつでーす。」
「あ、それ僕。」
「あら、ごめんなさい。てっきりお嬢さんが注文したのかと。」
「男が甘党じゃだめ?」
「そんなことないわ。私の婚約者も甘党。」


綺麗な顔をした若い男の前にあんみつを、連れの女性に魚定食を出す。


「旅人さんかしら。」
「はい。」
「どこから来たの?」
「ずっと北の方にある里から。人を探しに来たんです。」
「そうなの。天御影は広いから、会うのも大変でしょう。」
「ええ、まだ見つけられなくて。でも大丈夫です。必ず見つけますから。」


味噌汁の椀を女性が手に持ったので、美也子は再び婚約者の席に戻る。
月見うどんは綺麗に無くなっていて、厨房から勝手に持ってきた急須でお茶を入れ飲んでいる。
律儀に孝仁の分もあったが、孝仁は腕組みを解いた様子はない。


「美也子、そろそろ店じまいした方がいい。風の流れが変わったようだ。」
「玲子さん、動き始めたのね。」
「ああ。」


都は厨房に行って店主に事情を話し、閉店の証に暖簾を店の中に仕舞う。
と、先程の客が立ち上がった。


「あら、ゆっくり食べてていいのよ?新しいお客さんが入らないようにしてるだけだから。」
「いえ、大丈夫。ごちそうさま。」


魚定食もあんみつも綺麗にからになっており、食事代も机の上に乗っていた。
美しい黒髪に、髪より深い黒色の瞳を持った少女は暖簾をくぐり店を出て行った。


「って、あれ?お連れの男の子は・・・」


あんみつを食べいていた甘党の男性客は、もう店内にはいなかった。
代わりに、少女の右手に立派な刀が握られていた。




 

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