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第三部 夜永月の妖星闊歩10

 

新宿や渋谷から離れた文京区の空はまだ静かであり、星がいくつか顔を見せていた。
霊気が具現化した赤い霧も発生してはいなかったが、赤い炎一筋、空を駈けていた。
炎は、空を飛ぶ巨大な生首から吐き出されていた。
生首は黒い髪を乱し、憎しみで眉は寄り、怒りで目は血走っている。
食いしばった歯か炎が漏れ、口だけではなく、なびく髪からも炎が吹き出していた。
首は首だけで飛び、時折癇癪を起こしたように激しく炎をまき散らすせいで、民家やビルに火が燃え移り点々と火事を広めていく。
高度も進路もバラバラ。首が動く度、鎖が掠れるようなガチャリという鈍い音が響いていた。
夜を縦横無尽に飛び回る首が、突然見えぬ壁に激突して空中でひっくり返った。
態勢を整えた首が、ギロリと眼下の町を睨み付ける。
そこは、神社。湯島天満宮。
本殿の屋根の上で、派手な着物を着た男が一人、生首を見上げ同じように睨み付けていた。

 


「我が氏子の家になにをしてくれた。」


生首―平将門公の首は、それを敵だと断定して、口の端から炎を漏らす。
炎は広がり、体の周りを纏うと、首の大きさが三倍にも膨れた。
見開きすぎて充血した目はいよいよ赤く染まり、食いしばりすぎて頬の筋肉が震え始める。
纏う炎が脳天に集まり、勢いよく眼下の男に向かって吹き出した。
炎は神社の境内に落ちるが、一瞬でかき消された。
屋根の上に立つ男の、派手な黄色の着物が裾から黒く染まっていく。
肩より短かった髪がどんどん伸び、下から吹き出した風に踊りながら逆立っていく。
気づいた時には、首の頭上にだけ、黒い雲がかかっていた。
分厚い雲が数秒に一回黄色に染まる。稲妻が走っているのだとすぐにわかる。
さらに、垂れ目がちだった男の目がつり上がり、赤く灯る。
まるで、鬼のような風貌である。

 

「虚像の三下が。この菅原道真の恨み、全て受け止めてみせよ。」

 

けたたましい轟音と共に稲妻が将門の首に落ちた。
夜を一瞬蹴散らす稲光と、何万ボルトの電圧と高温で、将門の肌は全て焦げ、髪はみすぼらしく禿げ、そのまま落下しながら粉々になって消えていった。

 


その様子を、少し離れた位置から黒鳥に乗った透夜が観察していた。
黒から黄色に変わる着物、髪の長さも戻っていく菅原道真公を見て、自然と口元に笑みを宿す。


「あの男が、真の菅原道真公だとわかっておったのか?」
「ああ。といっても、史実に登場する本人の魂である、とは断言できない。あの人に宿った力は神様であるともナバリであるともいえる。確かなのは、長い間この辺りを彷徨い、人々に寄り添ってきた存在は、例えナバリであろうとも本物になり得るということだ。
足りなかったのは、彼本人による確信と自信。」
「作用と原理は元人間故と言ったところか。」
「俺達もそろそろ行こう。」


姿は見せぬまま寄り添う紫破にそう声を掛けて、黒鳥を大きく旋回させる。
降り立ったのは、池袋にあるサンシャインシティビルの屋上。
新宿方面を遠望すれば、顕著にあちらの空と地表付近が赤く染まっている。
ズボンのポケットに入れていた携帯が着信音を鳴らした。
発信元は、本郷会長であった。

 


「到着しました。はい・・・ええ、手順通りに。
彼女なら合図がわかるはずです。準備でき次第始めるので、よろしくお願いします。」

 

携帯をしまって、振り返り少し広い場所まで歩を進める。


「紫破。武蔵野国結界補助術式を委託後、隔離仮想空間も独立させる。俺から離れる瞬間、隙をつかれて逃げられないよう見張っててくれ。」
「奴らは確かに今内にいるが、外側から破られはせぬか?」
「そこは問題ない。俺の見よう見まねな術式が破られても保険がある。その保険が発動する前に移行を完了させる。」

 


右手を胸の高さに持ち上げると同時、黒い羽織が肩に乗った。
それは防御力を高める七星の法具であり、開祖摩夜が使用していたもの。
足元に白線で描かれた陣が現れる。線は発光し、僅かに水色を帯びている。
下から吹き荒れる霊力の波動が髪と羽織をなびかせる。
複雑な陣が二つ三つと現れ、それぞれ自転を始める。
陣は模様と文字が入り乱れ、浮かんでは消え、消えてはまた現れた。
最後に星座の模様が大きく描かれた後、全ての陣はすぅっと地面の中に消えていく。
僅か一分の内に、透夜が夏から準備していた結界達は譲渡、もしくは自立し透夜の手から離れた。
青白い光が消え、羽織が静かに背中に落ちる。
透夜が大きく息を吐いた。

「やっと肩の荷が軽くなった。これで俺も戦いに――。」
「お兄ちゃん!!」

 


ビルの屋上で、夏海が手を降りながらこちらに走ってきていた。
白虎に乗ってここまで来たのだろうか。


「夏海?家に居ろと言ったろう。五級以下は自宅待機だ。」
「アタシは耐性あるから大丈夫。それより、お兄ちゃんが心配で・・・。東京はこんなになっちゃったし。」
「安心しろ。俺や術士がなんとかする。お前は大人しく家に―」
『隙をみせたな。』


何者かの声が直接脳裏に響いたと同時であった。
夏海の背後から腹部にかけて、反り立った鋭利な刃物が貫通した。
仰け反る夏海の背中、驚いたような表情。セーターに広がる赤い模様。
刃物はすぐ引かれ、崩れる夏海の体を慌てて支える。
敵の気配はもうない。血に汚れた刃物も、どこにもなかった。


「夏海!?おい、夏海!」

 


腕の中で仰向けに倒れる夏海は目を見開いて固まったまま、微動だにしない。
夏海には、超再生能力が宿っているためどんなに大きな怪我でも瞬時に治るはずであった。
だが、セーターを汚す血が止まらず、ついにはコンクリートの上にも広がり続ける。
慌てて治癒が得意な式神、白澤を呼ぶが、一向に姿を現さない。何度名を叫んでも、白い獅子は現れなかった。
仕方なく自分の霊力で傷を塞ごうと手を添えるが、何故か流れる血は止まらない。
海のように広がり続ける血が、膝をついた透夜のズボンを濡らしていき、生暖かい感触が嫌悪感を、現実に対する拒絶と焦りを加速させていく。


「夏海!目を覚ませ!」


腕に抱える夏海の体温が急速に低下していくのがわかる。
見開いたまま固まる眼球が、まるで人形のようで恐ろしくなってきた。
混乱が収まらない。傷が塞がらないのも、夏海の超再生が機能していない訳も。


「お願いだ夏海、目を覚ましてくれ。夏海・・・!」

 


情けない声が喉から泣き声のように漏れる。震え掠れ、切羽詰まった声音が、地上六十階の上で響く。
血が止まらない理由が、全くわからないのだ。
血の海がどんどん、どんどんと広がる。
後ろに流れた夏海の長い髪が、自分の血を吸って赤く染まり、重くなる。
濃厚な鉄の匂いが、満ちる。不快だ。血の匂いなど慣れているはずなのに、それが最愛の妹が流したものだと理解した途端、吐き気を催してくる。食道の奥の奥、さらに内臓の奥がずんと重くなる。自分の指先も酷く冷えてきた。
治癒をしようとかざしていた手で、夏海を強く抱きしめた。


「ああ、なんで・・・。誰がこんなことを・・・。」


夏海の体はもう冷たく、死後硬直で硬くなっていくのがわかる。
触れた頬の温もりはもうない。

 

「夏海、俺を置いていくな・・・頼む。」


嗚咽のような息と、無意識に落ちた涙が血の海に落ちる。
きつく、きつく抱きしめても夏海の体は冷たいまま。
足元で広がる血の海が、どんどんかさを増し、膝、太もも、透夜の腰まで水位が上がる。
血が上へ引っ張られ、水球となって二人を覆うように包み始める。
霊気溜まりから遠いはずの池袋の空も赤く染まり、赤い霧が透夜の周りでどんどん濃くなっていったが、夏海を抱いて泣き続ける彼は気づいていなかった。

 

「こんな子供遊びのような術に惑わされるとは、お笑いぐさだな。」

 

低く落ち着いた声が聞こえた。
呼吸することも忘れて泣いていたのか、一度大きく息を吸う。
抱いていた夏海も、血の海も消えていた。
ただの冷たいコンクリートに両手をついて、四つん這いで泣いている。
涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。


「最強のお前も、相変わらず幻術が弱点か。」
「星爾、さ・・・。」

 


力がふっと抜け、腕で支えきれなくなった体が横に倒れた。
闇夜に溶けるように全身真っ黒の服装で、パーカーのフードを目深く被っていた大男は
哀れな程濡れた主の顔を袖で拭ってやってから、彼の体を肩に抱え、地上六十階のビルから飛んで消えた。

 


 

「五級以下は自宅待機と言われておったではないか。」
「家で大人しくしれられないよ!東京ヤバすぎるでしょ!?」
「お前が行ってもまた足を引っ張るだけだ。主に怒られるのはわしなのだぞ?」
「だって!・・・心配なんだもん。お兄ちゃん、また一人で無茶してないかなって。」


自宅から電車で新宿の術士協会本部に向かっていたところ、結界の気配を感じて渋谷で電車を降りた。
駅内部も、スクランブル交差点も相変わらずの群衆。飛び交う笑い声、外国語。雑音に雑音が重なって、普段は気にならないのに、今は酷く不快であった。
都内には三大怨霊が顕現し、渋谷新宿の爆心地一帯を結界を覆い現実世界から隔離しているという。
ここにいる一般人は、自分達が住む世界の反対で怨霊が大暴れし術士が賢明に戦っているのも知らず呑気に楽しんでいる。
スクランブル交差点を抜け、代々木方面に向かいながら、どこかに術士がいないかとキョロキョロ辺りを見回してみるも、それらしき人影も、結界内に入れる穴も見つからない。


「夏に、渋谷駅で生田目の結界に捕らわれたことがあるだろう。あれと同じようなものが働いている気配がある。許しがない者は中に入れん。」
「あの時、お兄ちゃんは入ってきたじゃない。」
「主ほどの力量がなければ、入れんのだ。諦めろ。帰るぞ。」
「うーん・・・。せめて本部に顔出して状況だけでも―。」


急に、雑音が遠くにいってしまった気がして振り向いた。
通りを歩く人がいなくなる。街頭モニターのCMや店のBGMもガンガン響いているのに、人だけが消えたような。
でもただ一人、夏海の前に立っていた。
ベージュのコートを着た、若い男。

 


「保那、さん。」


先日、夕方の公園で出会った時の光景が頭を過ぎる。

 

「こんばんは、夏海ちゃん。結界の中、入りたい?」

 


目を細め柔らかく微笑んでいる、端から見れば優しそうな好青年。
この人は危険だと、警鐘が鳴り響く。本能が、拒絶を―。


「お前、まさかっ―!?」


夏海をかばうように前に立ちはだかった白虎が全て言い終わる前に、腕を振った保那によって白虎の具現化が解かれた。
白虎自身か、兄でなければ強制送還させられない高位存在を、簡単な腕の振りで消してしまった。
無意識に、一歩足が下がる。

 


「それじゃ、行こうか。案内するよ。」

 

問答無用の言いようと、笑顔が圧を増す。
どう答えようか悩んでいる隙に、目の前の光景が高速で流れていき、見知らぬビルの屋上に立たされていた。
都内にあるどこかのビルだとはわかる。
だが、広がる光景は異様であった。
地表付近は赤い濃厚な霧が充満しており、夜空もまた反射して赤く染まっている。

先日酒呑童子が顕現した時より規模が大きくなっている。
無数の野良ナバリが縦横闊歩しており、空中にも羽のあるナバリが悠々と飛んでいる。
これが現実だと言われても、脳みそはしばらく理解してくれなかった。
まるでおとぎ話の中。


「おら、あそこ。」


隣にいたらしい保那が、夏海の肩に手を添えて斜め向かいにあるビルを指差した。
夏海がいるビルより二階分高い屋上を、走る影があった。
影はずいぶんがたいのいい人間―恐らく男性で、何か袋を抱えていた。
いや、違う。あれは人だ。人を抱えて走っている。
抱えられた人は気絶しているのか、動いてはいない。
走り去ろうとする男性の前で、巨大な猿が男性を守るように先導している。
背丈三メートルに迫る巨大な猿は、胸筋や腕が太く、猿というよりゴリラのような風貌で、赤い首輪をしていた。
あれは、兄の式神猿鬼であった。
猿鬼は普段手の平に乗るぐらい小さな子猿であるが、兄を守るボディーガードとしても仕事をしている。
探索が得意な一方、戦闘員としても申し分ない式神。

「猿鬼・・・。じゃああれは、お兄ちゃん!?」

 


全身黒ずくめの男性が抱える人影は、確かに男性のシルエットで、黒い布がひらひらしている。
きっと摩夜様の羽織だ。
猿鬼は彼らを狙って急降下してくるナバリやビルの壁面を張って登ってきたナバリを叩いたり蹴ったりして落としていく。
兄の行く先が気になって、後を追うようにビルの縁を駆け足で辿る。
猿鬼が羽の生えたトカゲみたいなナバリを叩いている隙を狙って、武器を持ったナバリが猿鬼の脇をすり抜けて兄を抱えた男に迫る。
男は両手が塞がっていたため、体重を後ろにずらして一撃を飛んで避けた。
その時に、被っていたフードが背中に落ちた。フードの下に、つば付きの帽子を被っていた。
あの帽子は―。
武器を振り下ろしたナバリが、器用に手首をひねって上に振り上げると、男が被っている帽子も落とされる。
あの帽子と、フード付きパーカーを買っている兄に付き添った事がある―。
ずいぶん大きいサイズで、誰かのプレゼントだと言って―。
ナバリは猿鬼によってひねり潰されたが、そこにいたのは、日室誠司であった。
間違いない。前髪は下ろしているが、一部が白く染まっている。
その横顔を、見間違えるはずはないのだ。

「うそ。あの人は、夏に死んで・・・。」
「君のお兄さんが匿っていたんだよ。」

 

ビルの端まで来てしまったため、保那に追いつかれ再び肩に手を置かれながら、耳元で囁かれる。


 

「彼のためにマンションを買って住まわせていたようなんだ。警察からも術士達からも隠していた。お兄さんは、夏休み中もずっとアイツと一緒に居たんだよ。君を一人、家に残してね。」

 


低くも高くもない心地よい声が、自然と自分の体の芯に溶けていくようであった。

悪魔の囁きが、ハッキリと輪郭を帯びて存在感を示す。

聞いてはいけないと警鐘を鳴らしていた自分の理性が、どんどんと小さくなっていくのがわかる。

 


「大好きなお兄さん、あいつに取られちゃったね。もう君のことなんて大事じゃないんだ。
君は宝具の入れ物だから、仕方なく守っていただけなんだよ。お兄さん本当は、あの男と一緒に暮らしたいんじゃないかな。」

 


一度しゃがみこんだ男―日室誠司であった大男は地面に落ちた帽子を大事そうに頭に被ってから、兄を抱き直して走り出した。
間違いない。ここからでも見えた。自分が兄の為に紹介したお店のロゴが書かれている。
生まれた時から一緒にいる兄が、他人の為にプレゼントを買っている姿なんて、数える程しか見ていない。
いつも、日室誠司に何かを送る時だけ。
兄を抱えた日室誠司は猿鬼に先導されながら、ビルを伝ってどこかに消えてしまった。

後を追う気力が湧かなかった。足が棒になり、足の裏がコンクリートに縛り付けられてしまったような。
何かが壊れていく音がする。
周りではなく、自分の中で。

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