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第三部 夜永月の妖星闊歩12

 

突然都庁の前に移動させられ困惑した様子であったが、
兄が拘束されているのに気づいたようで、駆け寄ろうとした夏海の腕を、保那が掴んで止めた。

 


「そいつから離れろ夏海!」

 


後ろ手に拘束されているだけでなく、足首も縛られていたことに気づかず、立ち上がろうとした透夜がバランスを崩し、議会堂の冷たいコンクリートの上に倒れてしまう。
肩を動かして、顔だけは夏海を捕らえる。

 


「夏海は関係ないだろ!今すぐ放せ!」
「関係大ありじゃないか。そうやって蚊帳の外に置くのはよくないよ。ね、夏海ちゃん。」

 


優しく語りかけて、手を放す。
すると夏海は二歩、三歩と前に進み出た。
そのまま走って逃げろと言おうとした口が、夏海のセリフで止まってしまう。


「お兄ちゃん、誠司さん、生きてたの?」


何故夏海がそれを知っているのか理解出来ず言葉を継げずにいる兄の様子を見て、夏海が続ける。


「お兄ちゃんが匿っていたってほんと?どうして教えてくれなかったの?」
「そ、それは・・・。」
「アタシが、本当の妹じゃないから?」
「なっ・・・、」

 

頭が真っ白になる。
隠して隠して、透夜にとっても見ないようにしていた事実が、最愛の妹の口から出てくるなんて想像もしていなかった。
急速に口の中が乾く。後ろ手に拘束された指先が、また冷えていくのが分かる。

 

「なんで、お前、それを・・・。」
「お兄ちゃん、アタシなんか大事じゃなかったんだ・・・。中に、法具を隠してたから、側に置いてただけなんだ・・・。」
「違う!」
「じゃあなんで法具のこと教えてくれなかったの!」

 

夏海の上擦った声が広場に響く。
背を仰け反らせて夏海の顔を覗けば、顔を涙で濡らしぐしゃぐしゃにしている。
子供の頃と、同じ泣き顔をしていた。

 

「アタシは捨てられた子で、法具が無かったらただの一般人!
治癒力だって法具のおかげ!最初から、アタシは術士なんてなれなかった・・・!お兄ちゃんの血の繋がった家族でも無い・・・!」

 


先刻味わった幻覚の光景がダブった。
これも悪い夢なのではないか、そう思いたい心が甘い誘惑を問いかけて目の前の現実から目を背けさせている。
わかっていながらも、言葉が喉につかえたまま出てこなかった。
こういうとき、言葉ベタな自分が心底嫌になる。

 

「お兄ちゃんはアタシを妹だなんて、思ってなかったんだ。
両親を失った寂しさと孤独を紛らわせてるだけなんだ!お母さんを助けられるなら、そっちに行ってアタシを捨てるんだ!!」
「そんなわけないだろ、お前が大事に決まっている。血が繋がってなくとも、俺の大事な妹だっ!」

 


肩をコンクリートの地面にこすりつけながら、上半身を持ち上げて膝で立つ。
少し近づいた夏海の泣き顔が、今は酷く遠く見えた。
見えない崖が目の前にあって、絶対に越せない断崖絶壁が間を邪魔している。そんな気がした。
状況は全くわからない。が、保那という男が夏海に何か吹き込んだであろう事までは推測が出来た。
誤解は解かねばなるまい。

 


「なあ夏海、話を聞いてくれ。最初は確かに、師匠に言われて法具を守れと言われた。でも俺は―」
「アタシ、保那さんと一緒に行く。法具、取り出してもらう。」
「やめろっ!!法具は―」
「法具がないアタシは、また捨てられる。その前に、アタシが・・・っ!」
「俺を、置いていくな夏海!」
「気が緩んだな。」

 


夏海の後ろにいた保那の声が、まるで耳元で囁かれたかのように真隣で聞こえた。
パリンという音と共に、夏海が耳にしていた青いピアスが割れ、中から青いオーラが吹き出し、そして散った。
ピアスは、透夜が夏海に施していた守りであった。
術士として力のない夏海が、白虎を宿すために透夜の守りが繋ぎの役目を果たしていた。
そして、七星の血筋でない夏海が法具に飲まれぬようにバランスを保ってもいた。
夏海の体がぐらりと傾き、気絶した体を隣に移動していた保那が腕で支える。
―空いた腕を、いきなり夏海の腹に突き刺した。

 


「やめろ!!!!」


目映い程の光が夏海の体から漏れた。
透夜が放つオーラと似た、青白い光の陣が現れ、腹を刺す保那の手を拒絶するように波打って抵抗していた。
だが保那は気にせず腹の中をまさぐっていく。
肉体に傷を付けているわけではないので、出血しているわけではないが、妹の体を傷付ける男に怒った透夜が、なりふり構わず地を這って保那に近づく。
しかし、纏わり付く黒い靄が背中全体に這い上がり、覆い被さってきたせいで動けなくなった。
唯一自由が利く頭を持ち上げて、低い声で叫ぶ。

 

「夏海に触れるな外道が!」
「おやおや。長い年月共に居すぎたせいで、絡まっているな。
ほら見てごらんよ。法具の自動修復機能が器の細胞を直し続けている。」

 


しばらく夏海の体内をまさぐっていた保那だったが、諦めたのか手を抜いて顔を上げる。
夏海の腹部に現れた陣もすぅっと消えた。

 

「貴様っ・・・!法具をどうするつもりだ!お前では扱えないだろ!」
「どうかな。ま、今回はわかりやすく、人質にさせてもらおうか。
この法具を無理矢理剥がせばこの娘は死ぬ。返して欲しくば儀式を行え。
いかにも悪者っぽいセリフでいいだろ?」

 

全身に力を込める。
血管が切れそうな程練り上げた霊力で自分にのし掛かる靄を消し去り、拘束していた縄のようなものを切断する。
無理矢理抵抗したせいで、口端から鮮血が垂れたが気にせず、保那に向かって一撃を繰り出しながら走る。
夏海に手を伸ばし無理矢理引き剥がそうとしたが、腹部に強烈な一撃を食らって屋上を体が転がった。
今まで受けたどの攻撃より重く、体に触れた一瞬、痛みで意識が飛んで気絶しそうになった。
先程マガツカミと共に戦っていた保那が、全く本気を出していなかったのだと、体で感じてしまう。
たとえ魂のままであろうと、本気を出せば一呼吸の間に殺されていた。
それをしなかったのは、天狼星としての役目を果たさせるための猶予。
血だらけになりながら立ち上がる。


「無理しちゃだめだよ、天狼星。いい土産が手に入ったから満足だ。じゃあ、今夜は楽しかった。またね。」

 


夏海を抱えたまま、保那は姿を消した。
場を支配していた絶対的な圧力が消えたことで、解きたくても解けなかった生田目の結界が頭上から割れて崩壊していく。
本当は、もうとっくに限界だったのだ。特位級のナバリを隠し続け、溢れた霊力を抑えなくてはならない。
あの娘はよくやってくれた。
全身から力が抜け、コンクリートの上に膝をつきながら、全く検討違いなことを考える。
眠らない街の騒がしさが戻ってくる。紺色の膜が剥がれ落ちて、本物の、濁った空が帰ってくる。
夏海を今すぐ追わなきゃいけないと頭が怒鳴っているのに、体が言うことを聞いてくれなかった。
夏海の泣き声と切羽詰まった悲痛な泣き声が辛すぎて、胸が一杯になってしまった。
泣かせたくなんてなかった。
一人にしないと約束したのに、破ってしまった自分が情けなくて、許せなくて、指一本動かせなくなる。
もうお前は兄なんかじゃないと拒絶された気がして、存在意義さえ見失っていた。
星の見えない都会の空が、酷く冷たく見えたが、星が見えぬ事が、今夜はとても有り難かった。

 

 

 

*   *   *

 

 

 

初めての出会いは、柱可和尚の自宅であった。


「お兄ちゃん頭いたいいたい、なの?」

 


両親が亡くなった後、目が覚めてすぐ父の亡骸と対面し、氷に眠る母の元へ足を運んだ。
しばらくして師匠の家に戻り、渡り廊下でぼんやりと庭を眺めて居たときだった。声を掛けられたのは。
見知らぬ女の子は、真ん丸の瞳で、透夜の頭に巻かれた包帯を気にしているようであった。
七星にこんな小さな子供居なかったはずだ。師匠の親戚だろうか。
茶色の髪は自分で切ったのかと聞きたくなるほど不揃いで、少し日に焼けた肌をして、襟元がだるだるになった薄汚れたシャツを着ている。
異様なのは、腕や足に青あざや切り傷、やけどの跡などがいくつも存在すること。
痛々しいのはどっちだよ、と思わず言いたくなるほどだった。

 


「お兄ちゃん・・・?誰が?」
「お前の妹じゃよ、透夜。」

 


縁側の靴脱石の向こうに、柱可和尚が立っていた。
いつもの作務衣姿で、手を後ろに合わせている。
普段は目をつむっているのかと疑ってしまうぐらい細い目をしているのに、今はちゃんと開かれて透夜を真っ直ぐ見つめていた。

 


「夏海という。ほれ、夏海ちゃん、お兄ちゃんにご挨拶は?」
「なつみは、なつみって言うの!お兄ちゃん、頭いたい?」
「え、あ・・・痛くない。大丈夫。」
「でも、いたいお顔してるよ?」

 


少女はさらに一歩透夜に近づいて、背伸びをして透夜の頭を撫でていた。
といっても、身長が足らず透夜の耳の上にある毛先を撫でただけだったが。

 


「いたいのいたいの、飛んでけ~!」

 


間近で笑う少女の満面な笑みは、庭で咲く花々より鮮やかで、庭を照らす太陽より強く明るかった。
無邪気な笑みが、透夜に降りかかっていた残酷な現実を一瞬だけ吹っ飛ばしてくれた。
純粋な子なのだろう。

 


「夏海様、おやつを召し上がりますか?」
「ええ~!おやつ、食べていいの!?」

 


廊下の先で声を掛けてきた蛍火の声に、目を一層輝かせて嬉しそうに跳ねた少女は、台所方面へ消えていった。
その背中を見送った透夜は、縁側にどっこいしょ、と腰を掛けた師匠の横に綺麗な作法で膝をつく。

 


「なぜ、あの少女の中に法具・五鈷杵が?」
「ハッハ。お兄ちゃんと呼ばれたことよりそちらが気になるか。さすが透夜じゃのぉ。一瞬で見抜いたか。」

 


頭髪のない頭を掻いて、師匠は庭の先に目を向けた。
モンシロチョウとモンキチョウが仲良く花の合間を飛び回っている。
名前は分からないが、色とりどりの花が綺麗に咲き、午前中の柔らかい日差しを浴びて輝いている。

 


「昨晩、冥王が暴れる森にあの子が迷い込んだらしい。結界が緩んだ箇所があって、そこからだ。」
「結界が?ありえません。」
「冥王が目覚めたせいで緩んでいたところ、誰かが穴を開けたのだろう。
身の程知らずにも、北辰大師様の法具を狙い宝物殿に忍び込んだ。たまたま近くにおった慧俊が気づいて追っ払ったようなんじゃがのぉ・・・。」

 


和尚は言葉を詰まらせたが、またすぐ続きを話し始めた。

 


「わしも目撃しとらんので子細は分からぬのだが、何者かに襲われた後、何故か慧俊は迷い込んだ少女の中に法具を隠して逝きおった。隠すということは、狙うやつらがいたということだ。慧俊が無関係の少女を巻き込むようなことをするぐらい、危険な敵が、あの夜おったんじゃろうな。
慧俊の衣服を調べた所、腹に穴が開いて血で汚れた跡が残っていた。即身仏になる前のことだ。
冥王の力が漏れたのと同じく、何かが起きておったのだ。一体慧俊は何を見たというのか。もはや知る術はない。」

 


今朝方父の亡骸に対面したときは、衣はほとんど焦げていたので気づかなかった。
父慧俊の師でもあり高名な術士である柱可和尚が思案しながら、しんみりとした空気を出すので、透夜は膝の上に置いた手を握りしめる。

 


「法具は、資格のある人間でなければ手に出来ない品。簡単に盗まれることもなければ、術士でもない少女の体内に収まるわけがないはずです。」
「だが、現実的にあの子の体内に収まった。透夜。これを運命を呼ばずして何と言おうか。」

 


普段は穏やかな老人として朗らかな声を出す師匠が、ヒリついた重厚な声を出す。
今師匠は庭など見ていない。巨大な運命の渦を見据えているのだ。

 


「ただの少女が運命に巻き込まれた。いや、あの子は法具を収めるべく此処に来る運命だったのかもしれぬ。今となっては、慧俊の忘れ形見と言ってもよい。」
「法具を抜き出せばよいのでは?」
「五鈷杵は今、あの少女の魂に絡みついて定着しておる。正当後継者である四斗蒔家のお前ですら、簡単に取り出せはしないだろう。北辰大師様も何をお考えなのか・・・。」

 


口を一文字にして聞いていた透夜も、状況が急すぎて全てをすぐ様受け入れはしなかった。
心や意思が置いてけぼりのまま、現実の出来事だけが目まぐるしく走り去ってしまう。
両親が亡くなった現実も、まだ上手く噛み砕けていないというのに、見知らぬ子供が妹になるという。
だが頭は不思議なほど冷静で、現状は把握出来た。
これも師匠の元で修行を続けてきた成果であろうか。


「わかりました。僕は父が残した五鈷杵を守ればいいのですね。ただ一点質問が。お兄ちゃん、とは?」
「そう記憶がすり替わっておった。夜のうちに蛍火に調べさせたが、あの少女は隣町に住んでおり、親に虐待され続けたあげく昨晩捨てられた。親は娘を山にほおり投げて呑気に京都旅行中だ。
慧俊が事情を察して記憶を書き換えたのであろう。お前の事を本当の兄と思い、慧俊と麗華を親だと認識し、本当の母親のことを忘れておる。
五鈷杵が入ってる以上、わしとしても返すつもりはない。今も弁護士を雇って親権を譲らせる手続きを整えておる。
この事は、わし達の秘密だ。慧俊の隠し子ということで育てるが、部外者であることには変わりは無い。なにせ術士としての才能が皆無じゃ。すぐ見抜かれる。
慧俊がいたからこそ分家の奴らも大人しくなっておったが、お前が成人するまで当主争いだなんだと騒がしくなる。」
「要は、僕が強くなって周りの大人を黙らせればよいのでしょう。」

 


トゲを含んだ声に、師匠が透夜の方に顔を向けた。
決意を固めた強い瞳だが、奥に映るのは憎しみと、復讐心。
もうあの純粋な子供ではなくなってしまったという、喪失感と後悔。それから懺悔。
このような事態にならなければ、今もこの幼子は優しい両親と一緒に居られたはずだ。
親元を離れるには、まだ幼すぎた。
だが、彼の肩に乗った大きすぎる運命を前にすれば、この試練なんぞまだ序の口であろう。
柱可和尚は再び顔を前に戻して、目を閉じた。

 


「お前はまだ数え歳七つ。十八になるのを待って緩やかに教えるつもりだった。七星の神髄を、お前には掴んでもらわねばならない。」
「引き続き、ご指導ご鞭撻のほどお願いいたします。父の後を継ぎ、立派な当主となるべく励ませて頂きます。」

 


床板に三つ指をついて綺麗にお辞儀をする透夜を、視線の端で捉える。
作法の美しさは母親譲りだ。
短く息を吐いて、師匠はああと答えるのみだった。

 

透夜は、リビングでもある茶の間に移動した。
大人数が一緒の食卓に着けるよう特注で作った大きなこたつ机の上には、色とりどりのお菓子の袋とオレンジジュースが乱雑に置かれていた。普段なら絶対ありえない光景である。
蛍火に世話を焼かれながら、父が拾った少女はがっついてクッキーを食べていた。
リスみたいだと、冷静な感想を口には出さなかった。

 


「透夜様には、お食事を。朝から何も召し上がってません。」
「そうだね・・・。おかゆでも頼むよ。」
「そう仰ると思って、用意しておきましたよ。」


台所に続く引き戸が開けられ、師匠の式神である犬神がお盆を抱え入ってきた。
こたつ机に、一人分のおかゆと漬物と山菜が乗った小皿、お茶が並べられる。
頬をクッキーで膨らませていた少女が、耳の生えた女性に興味津々と言った目を向けていた。

 


「彼女は犬神だよ。」
「わんちゃん?」
「そう。この家の家事手伝い。あー・・・ご飯作ってくれる人だ。人の格好してるけど、犬神。」

 


特に食欲は無かったが、お盆に添えられたれんげを取って塩がきいたお粥を口に運ぶ。

 


「じゃあまろんだ!」
「まろん?」

 


少女の空いたグラスにオレンジジュースを注いでやりながら、犬神が首を傾げる。

 


「おおやさんが飼ってたわんちゃんも、茶色のお耳してたんだよ。」
「そのわんちゃん、まろんちゃんと言うんですか?」
「そう!」
「犬は全てまろんという名前だと思ってるね、この子。」
「わー!まろん、しっぽもあるのー?」

 


和服の間から生えた犬神の尻尾を見つけた少女は、立ち上がって興味津々に眺めた。
犬神がわざと尻尾を振ると、大喜びで尻尾を追って撫で始めた。

 


「フフフ。賑やかになりそうでようございました。」

 


騒がしい少女を横目に、透夜はお粥を胃に収めていく。

 


「あ。お兄ちゃん、頭痛いの治った?」
「治ったよ。蛍火、包帯取って。」

 


はい、と腰を上げた蛍火は食事を続ける透夜の頭から丁寧に包帯を取り去る。食事の邪魔にならぬよう気を使いながら。

 


「変な感じだね。突然他人が家族になって、当たり前にお兄ちゃん呼ばわりされてる。」

 


蛍火にだけ聞こえるよう話す。無表情の蛍火が、今どんな顔をしているのか、少しだけ気になった。

 


「慧俊様の忘れ形見。これも縁でございますよ。」
「章松達が騒ぐだろうね。」
「私と鬼灯が必ずお守りいたします。ご安心を。」

 


父さんのことだから、記憶操作は完璧で、齟齬はないのだろう。
ならこちらが上手く話を合わせてやらねばなるまい。
食事を終え、丁寧に手を合わせてからお茶をすする。
少女は再び隣に並んでリスみたいにクッキーを頬張り始めた。
虐待されていたということは、お菓子すら滅多に食べられなかったのかもしれない。
腕も足もガリガリで、覗いている肌はやはり痛々しい。
自分は両親や師匠、式神達から愛情たっぷりに育った。
時に親から愛されない子供がいることは、ドラマで見たことがある程度。
親に愛されず捨てられて、今度は一夜のうちに記憶さえ書き換えられた。
哀れと表現すればいいのか、不幸だと見下すのは何か違う気がする。
父は何を思ってこの子に法具を託して、僕に預けたのだろうか―。

 


「夏海ちゃん。」
「んー?」
「これからは、僕が―、お兄ちゃんが守ってあげるから。」

 


お茶をすすりながら何の気なしに告げる。
一瞬ぽかんとした表情をした少女―夏海だったが、

 


「うん!」

 


口元にクッキーの欠片をくっつけながら満面の笑みをこぼした少女は、やはり太陽のようだと思った。
無邪気なことが、こんなに眩しく、もう自分と無縁なものだと悟る。
もう父も母もいないことを悟る。
暖かな生活は遠のいたことを知る。
眼球の奥で涙が湧き上がるのを感じたが、むなしさをお茶と一緒に飲み込んだ。
まだやることがある。
両親が残した思いを叶えねばならない。
強くならねば、透夜はそれだけを胸の奥で何度も何度も唱え続けた。言い聞かせるように。
涙がむせ返してこないように。

 

 

 

 


*    *    *


武蔵小杉駅に近い場所に建つ、地上五十階建ての高層マンション。その最上階。
三十五坪の広いバルコニー付きの物件で、しかも角部屋。
神奈川の町並みが一望出来る最高の一室。
そこが、透夜が事務所として選んだ物件であった。
招待された頼安と嵐は、生まれて初めて踏み入れる超高級マンションに圧倒され、口をあんぐり開けたまま固まっていた。

 


「部屋、いくつあるの?眺め良・・・。」
「二人とも、座ったらどう?」
「更衣さんは馴染みすぎですよ。」

 


横に広いリビングに置かれたL字型のソファーに座って、煎れてもらった紅茶を嗜んでいる更衣。今日は素顔のままであった。
リビングと繋がっている台所でお茶を入れた透夜が、人数分カップを並べていた。

 


「な、なんで此処にしたのさ、透夜くん・・・。」
「え?あー。家から近いし、眺めよかったから?」
「それだけで超高層マンションの最上階買える高校生ってどうなの!?億ションだよね!?セレブ中のセレブじゃん。査定は?よく通ったね。」
「そこは俺がちょちょいと。」
「手貸してましたか、更衣さん。」
「一応高校生の俺じゃ契約無理なんで、七星の秘書に名前借りてます。ま、卒業したら名義変更して自分のものにしますけど。」

 


まだ部屋を観察している頼安と、気疲れしたのか、ソファーに腰掛けて紅茶を飲む嵐。
海外家具と思われるソファーは腰掛けただけで高級布団に包まれたかのような贅沢な座り心地であった。体が驚くぐらい沈む。

 


「高校生にしてマンション持ち。凄いな、透夜は。」
「ハッハ!嵐の簡潔で省略された感想頂きました~。」

 

リビングの隣にある扉が開いた。

 


「よう、お前ら。」
「ぎゃああああ!出たああああ!」
「頼安うるさい!」
「話は聞いていただろうが。」

 


二人に突っ込まれて口を閉ざすも、頼安はビクビクした様子で今姿を見せた大男を見た。
この夏、死んで葬式まで参列した男が目の前に立っているのだ。驚きもする。
日室誠司だった男は、紺色のシンプルな長袖シャツと黒いズボンを履いて、ソファーの端に腰掛ける。
いつも朗らかな表情をしていた頃と真逆で、難しそうな仏頂面をしている。
一方、常に固めて七三にしていた前髪が下ろされているせいか、以前より若く見える。前髪の白い部分はより目立つようになったが。
いそいそと自分もソファーに移動して、嵐の横に収まる。

 

「うわ。ソファーのフカフカレベルやばっ。・・・ってそうじゃなくて。」
「忙しいなぁお前は。」
「だって、日室さんが生きてるって聞いても、簡単に信じられませんよ。」
「今目の前にいるだろうが。」
「そうですけど・・・。」


説明は事前に更衣から受けていた。
幼い頃からひきつぼし星団による洗脳のような教育を受けていたせいで、術士教会を裏切ったのも仕方の無いことだった。頭では理解しているが、どうも裏切られたというイメージが拭えない。
自分の分と従者―日室誠司であった蘆南星爾の分をトレイに乗せた透夜が戻ってきて、自分はオットマンに腰掛けた。

 


「で、本名の星爾さんと呼べばいいですかね?」
「好きに呼べ。」
「うわー・・・慣れないなぁ。無愛想な誠司さん。」
「慣れなくていい。」
「そろそろ本題入っていいですか?」
「その前に確認したい。この星爾さんが生きている事を知っているのは、あと誰なんだ。」
「俺の秘書二人と、本郷会長、会長秘書の川村さんだけです。」
「会長もグル?」


透夜が紅茶のカップを机の戻し、表情を引き締める。

 

「夏に、本郷さんを長野まで連れて行ったのは、ひきつぼし星団は解体し、日室誠司が死んだと会長自ら証言してもらう必要があったからです。
ひきつぼし星団を調べる内に、奴らの裏側で誰かが糸を引いてると勘づいたんです。
結果的に、それは隠士でした。
ひきつぼし星団は詐欺まがいの宗教団体にまで落ちてましたが、所持する予言も黄王も本物だった。自分達の予言に割り入ってきたのが闇の力だと気づいた。
黄王は予言を実行することより、天狼星の俺を守ることを優先し事を急いだ。
おかげで俺と更衣さんはひきつぼし星団を調べつくすことが出来たし、日室誠司を世間では死んだことにして仲間に引き入れる算段もついた。」
「本当に一度死んだがな。」
「星爾さん、黙ってて。」


横目で従者を睨み付けてから、透夜は続けた。

 

「隠士と戦いあぶり出すためには、予言が必要であった。本郷会長は納得して、全部の手筈を整えてくれた。騙してたのは俺であって、会長は悪くないですから。」


頼安の心境を見抜いてそんなことを言う。

 

「夏から秋にかけて、ずっと星爾さんと隠士や摩夜、冥王について調べていました。」

 

彼らが囲む低い机の上には、所狭しと書類や民謡学の本が積んであった。
透夜が、手の中に一冊の古びた本を取り出した。
頼安と嵐は見たことがある。秋の中頃、一緒にいった中華屋で見ていたものだ。

 

「きっかけはこれ、七星の開祖摩夜の日記。此処には、最強と言われたナバリ冥王の誕生、その正体まで書かれていました。」

 


透夜はなるべく簡潔に、日記に書かれていた事象と冥王について説明した。
今回の事態の原因となった摩夜の結界、冥王の魂、法具について。
そして、最後に夏海のことも。

 

「夏海を巻き込みたくなくて内緒にしてたのが裏目に出た・・・。俺の責任です。」

 

四斗蒔夏海が敵にさらわれた事実は全術士に通達されている。
三大怨霊が出現した疑似東京の中で術士が戦った夜から行方が知れず、もう一週間経っている。
最愛の妹を失った透夜の落胆ぶりは、凄まじく、日室誠司の時は家にこもっていると嘘をついていたが、今度は本当に家に引きこもり、寝たきりのまま食事も取らなかったらしい。
立ち直ったのは、ひとえに妹を取り戻すという復讐心だろう。

 


「あなたたちは信用している。夏海を取り戻すため、助けて欲しい。
俺一人じゃ、アイツに勝てない。」

 

頼安と嵐はお互い目線を交わし、顔を前に向けた。


「俺で出来ることなら。」
「喜んで手伝うよ!どんどん頼っちゃって!」
「頼もしぃ~。俺の情報収集も手伝ってくんない?」
「それは専門外です!」

 


黙って話を聞いていた星爾が、透夜の方を見てしっかりと頷いた。
大丈夫だ、そう言いたげだった。
透夜は両手を合わせ、瞳に強い決意を宿し始める。

 


「俺の可愛い妹をたぶらかした奴、皆殺しだ。」

 

声を低くして重みを強めたセリフに、頼安がそっと嵐の耳元に顔を寄せた。

 


「血の雨が振りますね。」
「やり過ぎないように、俺達が見張っておこう。」

 


それからそのマンションは、彼らの秘密のたまり場になった。
十一月の頭の事である。

 

 

第三部   完

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