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第四部 消えゆく流れ星1

 


ザクッ、ザクッ、ザクッ。


土の匂いをこんなに間近で感じたのはいつぶりか。
真冬の土は硬く、握ったシャベルからまるで拒絶されているような虚無感が伝わってくる。
軍手をしただけの指先は冷え切って感覚はなく、むき出しの頬や鼻は痛みさえ感じる。
昼間晴れていた空も白い雲が覆い被さり、急激に下がった気温と冷たい空気に、吐いた息が白くなる。

十二月二十九日。
今年も終わろうとしている、師走の年の瀬。

透夜は和歌山にある七星の土地に戻ってきていた。
年末年始を呑気に実家で過ごすためでは無い。
香宵山の麓にある柱可和尚の平屋。その裏庭で、透夜は穴掘りにいそしんでいた。
腕時計を確認すると、かれこれ三十分は闇雲に土を掘っている。
感覚を失った指先では力が入らず、一度切り上げようかと思い始めたその時、シャベルの先が何かに当たった。
丁寧に土を細かくかいて、顔を近づける。
出て来たのは木箱であった。元は綺麗な桐箱だったのだろうが、長い時間土の中に眠っていたせいで変色し蓋は腐りかけている。
あまり深い場所に埋められていなくてよかったと、地面に膝を突いて木箱を取り出した。
持ち上げられない重さではなかったが、ずっしりとくる質量は、冷えて凍えた腕にはやや辛い。
軍手で箱にかかった土を取り除いてから、蓋を開けてみる。
中には紫の布で何かが包まれていた。
布の表面には札が貼られている。時の流れを止める札だ。
木箱が腐っても、布に包まれた中身が腐らないようにしていたのだろう。
軍手を外し札を剥がそうとしたところで、白いものが視界に入ってきた。
ついに雪が降り出した。寒いハズだ。
札の左端を掴んでいた手を放す。
中身はきっと紙だ。雪で濡らすわけにはいかない。
木箱ごと脇に抱えて、透夜はシャベルを物置に戻してから、師匠の家ではなく実家に戻ることにした。

 

第四部  消えゆく流れ星

 

 

十二月三十日、午前九時。


年の瀬真っ只中の故郷は、本来なら迫る新年に向け準備で忙しいはずであった。
毎年一月四日に一族の代表者達が一晩掛けて占いをし一族の繁栄を願う儀式、なんてものもある。
儀式に関係ない一般家庭も何かと準備に追われて、空気がどこか落ち着かない。
そんな当たり前の、穏やかな一日になるはずだったに違いない。

七星のご本山・朔山は今、燃えていた。

赤い炎ではなく、霊気が具現化した青い炎が森の木々を覆い空を焼いていた。
森を根城にしていた鳥たちが家を失い空に飛び上がり、住み着いていた下級ナバリが常世の世界に次々帰っていく。
人々の悲鳴と混乱が渦巻き、怒声が行き交っている。
彼らを更に恐怖のどん底に叩き落としている要因は炎ではなく、視覚できるあの塊。
山のような丸いシルエットに目が二つ、頭部に牛のようなつのと、胴体部分に小さな手が二つくっついてる。
まるで子供の落書きのようなあの姿こそ、七星開祖摩夜が封じた冥王。
十一年前にも復活しているため彼らの記憶には新しく、頭上から降り注ぐプレッシャーは七年前より強かった。
此処で逃げ惑う術士は少なからず力がある者達ばかりだ。事の重大さは嫌でも気づいているのだろう。
当主の血筋である透夜ですら、むき出しの頬が痛みでひりつくのを感じながら、森の縁に立っていた。
森と崖の間に立つ彼の目の前にあるのは冥王ではなく、氷の壁。
その中で眠るのは、母の四斗蒔麗華。
十一年前、冥王を封じ自らの術を維持するために入った氷の中で、今日も母は美しく微笑んでいる。
瞳は閉じられているが、波打ったまま固まる黒髪は繊維のように繊細で艶があり、肌はまだ赤く腐った様子は一切無い。完璧な冷凍保存が成されている。
氷を溶かせば十一年前の姿で目の前に降り立ち、笑ってくれるんじゃないか。
何度そう願ったか。
いつも優しく、穏やかで、美しかった母親。
最期は星宮の巫女らしくこの土地を守ることを選んだ、気高い術士。

 

「お前が冥王の封印を解いたのか!!?」


母との対面を邪魔され、不機嫌そうに眉をしかめそちらを見る。
息を切らし、灰色のもっさりとした髪を乱した中高年層の男性が仁王立ちで透夜を睨み付けていた。
痩せ型で長身。目が真ん丸で飛び出そうであるため、透夜は子供の頃カメレオンと心の中であだ名をつけていた。
現七星五老星代表、松本章雲。
七星の中でも野心的で革新派である円山派代表であり、透夜が学生なのをいいことに裏からあれこれ手を回し、宗家、五老星の許可なしで票を集め総本山をまとめる役を奪い取った。
といっても、術士としての腕前は二流で人望はほぼ無い。金と脅迫で今の地位を勝ち取ったに過ぎない。
今は透夜の代わりに伯父が立派にまとめあげてくれている為、七星を完全に乗っ取れたわけではないのだが、父慧俊が亡くなった後は好機とばかりに暴れ回ってくれたおかげで、透夜も夏海もかなり大変な立ち位置に回され苦労した。
特に、夏海が悪質ないじめを受けていたのはこの男があること無いこと吹いて回ったせいだ。
問題を起こすのはいつもこの男で、透夜は心底鬱陶しく思っており、当主になったら追放してやろうと心に決めていた。
真ん丸の目をもっと見開いて、章雲は声を荒げる。

 


「意図的に封印を解いたとなればいくら次期当主、四斗蒔家の跡取りといえど追放では済まされんぞ!七星の土地をめちゃくちゃにしおって!」
「・・・二流のあんたにはわからないのか。」
「なんだと!?」
「冥王の結界は解いたが、此処は現実世界ではない。術者として力のない者には当たり前の今日が流れている。現実の七星の土地は無事だよ。結界の内側に来てしまった人達には、瘴気が当たらないようにもしてるし、俺の式神達が結界外へ誘導してる。あんたもこっち側にいるってことは、曲がりなりにも術者だったということか。」
「なにを言ってるかわからんが、こんな勝手な事をして許されるはずが―」
「ああ、五月蠅い。黙れ。」

 


ポケットに入れていた左手の人差し指を下から上にひょいっと上げると、灰色髪の男はその場から消えてしまった。山の外に追い出して、ついでに勝手な事をして邪魔をしないように眠らせておいた。後は式神が適当な場所に運んでおいてくれるだろう。
再び舞い降りた静寂に安心したような、不安が強まった面持ちのまま数歩進んで、氷の壁に近づく。
間もなく、結界の内側に紛れ込んでしまった同胞の避難は完了するだろう。
その後は――。


「俺、本当は気づいてたのに、希望に縋ってた。また笑ってくれるんじゃないかって。」

 

氷の壁に手を置いて、次に額をつける。
ひんやりとした感触が体の芯まで伝わるが、本物の氷と違って指先が凍るような冷たさはない。
むしろ、どこか心が温かくなる。当然だ。母の霊力が此処には詰まっているのだ。

 

「父さんと一緒に眠らせてあげられなくてごめんね、母さん。」


透夜が置いた手に触れる氷が、ミシッと音を縦に亀裂が入る。
この十一年、決して割れることも溶けることも無かった氷に訪れる、初めての変化。
崩れた箇所から、細かい砂のように繊細な氷の結晶が降ってくる。

 


「帰りたかった、あの頃に。でももう帰ってこない。何もかも。時の流れが、一番の呪いだ。」

 


亀裂はあちらこちらで起こり、次々に破裂音が響く。
細かな結晶の雨は止まず、遠くで聞こえる冥王の咆哮に合わせて空に舞い上がっていく。
結界をぶち破り外に出ようと暴れる冥王の体が、今も透夜を求めて彷徨っているのが分かる。
常人なら気絶してしまう程の霊気の圧。息をするのも困難な程満ちた瘴気。
かつて都を闇で覆い、草木を枯らし、体からナバリを産み続けた闇の根源。
まさに、ナバリの王。
魂の部分が抜け落ちても、本能のみで動き続けている。
地響きが強くなり、氷の崩壊が加速する。

 


「ちゃんと生きろと言って背中を押してくれたのに・・・。ごめん、ごめんね母さん。父さん。やっぱり、運命には逆らえなかったみたいだ。」

 


透夜の頬に、涙が流れる。
涙で目の前が霞むが、必死に両目を開いて母の姿を瞳に焼き付ける。
亀裂が、いよいよ母の肩の上まで届く。

 

「親不孝の息子を、どうか許して。俺も二人を愛してる。心から。」

 


涙を拭った右手も、氷の壁に添える。
それが合図だったのか、氷の壁に一気に太い亀裂が走り、氷が全て砕けた。
大小様々な破片が、空気に触れた途端細氷となって舞い上がり、消えていく。
母の体を守る氷も溶け、白袴を履いた母の体が大気中に解放される。
透夜は右手を、母の左手に伸ばした。
しかし、母の指先に触れる前に、母の体は細かく砕けて大気に消えてしまった。
美しく微笑んだままの顔は、最期まで瞳を開けることは無かった。
見たかった景色は、この瞬間現実にならないことが確定し、心の支えだった希望や願いまでもが音を立てて砕けていった。
これは心が砕ける音なのではないだろうか。そんな錯覚さえ感じる。
十一年もの間、森を鎮めていた氷が消えた事で、一際大きな咆哮が聞こえる。
口もないのに、どうやって声を出しているのか。考えるのすら馬鹿らしい。

 


「ああ、わかってるよ父さん。上手くやるさ。」

 

涙で濡れた顔を上げる。
木々の積み重なる向こう側に、自分を睨む目が二つあった。
紫色の山みたいな体は半分透けている。その体の中にあるのは、闇そのもの。
結界内の空はまだ午前だというのに暗く、どんよりとした藍色が降りていた。
鮮やかな青い炎が森を覆い、氷点下で冷えた空気のように肺に吸い込んだ酸素が喉を刺す。
透夜が右腕を胸の高さに上げた。

 

「七ツ星秘術<北斗星君>。」

 


足元に青白く光る陣が広がった。
複雑な模様と文字を描きながら自転を始め、大小様々な陣が次々に生まれて重なっていく。
それは、かつて七星開祖摩夜が修行の果てに生み出した、最高難易度の秘術。
選ばれし者にしか閲覧することしか許されぬ秘伝書三種を全て読み、さらに解読しなければ取得出来ない領域にある。
七星術士が使う星廻交降術よりもさらに難解で、宇宙の流れを紐解く必要がある。
摩夜でさえ、山に籠もり修行の果てに辿り付いた境地。
秘伝を使用出来たのも、歴代当主の中でも数人で、何人もの修行者が命を落とすか頭をおかしくしてしまったとあった。
だから師匠である柱可和尚は秘伝書を自宅の裏に埋め、時が来て透夜の手に渡るのを待った。
透夜の足元に、北斗七星が描かれる。

 


「一星、七星剣。」

 


掲げた右手に、剣が現れた。
刀身は真っ直ぐで日本刀よりも横幅が広く、刃は全て青白い光に包まれていた。
輪郭は曖昧で、燃えているようにも瞬いているようにも見える。
揺らぐ柄を両手で握り高く掲げると、勢いよく振り下ろした。
青白い斬撃が真っ直ぐと伸び膨らみながら、冥王の左半身、全体の三分の一程度を刈り取った。
―やはり、一晩読んだ程度では熟練度も狙いも甘いか。
冥王は身動ぎする様子もなく、ただじっと、虚無の瞳で透夜を見つめ続けている。
目の前の森も一緒に切り刻んだおかげで、道が開けた。
腕を振って剣の具現化を解き、指で印を結ぶ。

 


「四星、天権咆䰢(てんけんほうこう)。」

 


体の前に小さな陣が現れ、そこからエネルギー砲弾が勢いよく発射された。
辺りがホワイトアウトしてしまいそうなほど目映く、威力が凄まじい一撃は、見事残った冥王の右半分に直撃した。
この技は星廻交降術の辰星波弾の改良版で、更に威力と出力を上げた術。
といっても、この威力を普通のナバリ相手に放ったら消す墨にした挙げ句小さな町なら二次災害で家が吹っ飛んでいるだろう。
冥王の体が散り散りに砕け、角が生えた頭部のみが宙に舞った。

 


「北極天黒遍、六章七十七編。貧狼落ちて破軍来たれり。門を閉ざせ、廉貞を囲いたまえ。我の元へ集いたまえ。」

 


人差し指と中指を合わせ下から上に空を切る。
大気中に散っていた冥王の体が、透夜の方へ飛んでいき、次々にその体内に入っていく。
足元にあった陣が音を立てて割れ、透夜は膝から崩れ地面に四つん這いになる。
苦しみの声が喉から漏れ、背中から黒いもやが漂う。
口元から垂れた涎と自然に落ちた涙が乾いた土の上に落ちた。

 

「あああああっ・・・!!」

 


喉が潰れてしまうのではないかと思うほどの苦痛を帯びた絶叫が空気を揺らす。苦しみで爪を立て固く乾いた土を掻く。
どのくらいの時間が経ったのか。数分か、あるいは数時間か。
体に冥王を取り込むという気が触れたかと疑われるような所業を成し終えた透夜は、すくりと立ち上がった。
両目が赤く点滅していたが、やがて光は消え、体に纏っていたもやも治まった。
ガラスが割れる音が七星の山全体に響き渡り、覆っていた結界が消える。
本物の空が顔を出す。薄水色の鮮やかなグラデーションを描く青空は澄み渡り、そちらの方が別次元なのではないかと錯覚してしまう程で綺麗であった。
年の瀬を感じる忙しない空気、流れる白い雲。冬らしく冷えた空気。
顎を少し上げ、細く長く息を吐く。虚無感が指先まで回って脱力感で頭が痺れていた。
現実が追いついてこなかった。ずっと待ち望んだ瞬間は通り過ぎてしまった。いや、追い越してしまったのかもしれない。これが正しいのかどうかすら、ぼやけた頭では判断が付かなかった。
崩れる結界の破片が地面に降り注ぐ中、透夜の右側に生えている木の枝がしなった。

 


「久しいな、透夜。ずいぶん大きくなった。」


黒い羽を背中に畳み、和装を纏う赤い顔の天狗が高下駄で地面に着地する。


「なにやら七星の様子がおかしいので足を運んでみたら、これは驚いた。冥王を祓ったか。」


力を使い果たし呆然と立ち尽くしていた透夜は、細く長く息を吐いて、手についた土を払ってからズボンのポケットに手を入れた。

 

「七星の結界が消えておるではないか。何があった。」
「俺が壊した。もう七星が存在する意味はないからね。」
「冥王を倒したのか。」
「そう。といっても、抜け殻同然の残滓だけどね。」
「なんと・・・。特異な子供だと思ってはいたが。ふむ。七星の森も清らかで良いのぉ。」

 


天狗は、初めて降り立つ森を見渡してそう言った。
長年、本当に長い間一族の人間しか住むことを許されなかった禁足地だ。
結界を解いたとはいえまだ神聖な気は充満している。数ヶ月もしたら空気も混じりナバリも神も寄りつかなくなってしまうだろうが。

 


「真言宗の坊さん友達だったよね。謝っておいてよ。しばらく騒がしくなるから。伯父さんの助けも、出来たら頼みたい。」
「任せよ。奴とは酒飲み仲間だ。」

 

口元にやや疲れた笑みを残して、透夜は踵を返して山を下りた。

 

 


 

 


新幹線の座席に落ち着いて、窓から見えるホームの人並みをなんとなく眺めて居た。
これから訪れる正月を実家で過ごす人や、旅行で来た観光客、年の瀬にかかわらず仕事中であろうサラリーマンなどが寒さで上がった肩を寄せ合うように出口の方へと急いでいる。
アナウンスが響き、発車メロディーが流れる。
ゆっくり走り出す新幹線の窓から、一際大きく派手な広告看板が目に入った。
某所にある遊園地、ファンタジーランドの年越しカウントダウン広告だった。
―本来なら、今頃俺は夏海とあそこにいるはずだった。
年越しイベントは直営ホテル宿泊者が購入出来るチケットで参加でき、夏海が行きたいと言っていたプランだった。
予約をしようとした矢先、それは適わぬ夢となった。
着ぐるみが楽しそうに笑っている広告はあっさり通り過ぎ、高速で景色が流れ出す。
ふるさとの地があっという間に遠くなる。もう二度と戻らないだろう。
東京行きの新幹線は世間が騒ぐほど混雑していなかったが、人の声で賑わっている。
目的地に着くまで寝て過ごそうと、透夜は目を閉じた。

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