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第四部 消えゆく流れ星6

 

赤く染まった空を見て、誰かが地獄にでも迷い込んだのかと呟いた。
まさにその通りである。
同意せざるを得ない光景が、目の前に広がっていた。
深夜零時を過ぎ、都内を覆う結界内は当然のように夜の紺色に包まれていたはずだった。
突然。何の前触れもなく。
世界が明るくなったかと思えば鮮血のように生々しい赤い空に変わった。
光源は見当たらないが、夕日が大地を照らすように、地面もビルも、視界に入る全てが赤に取り込まれてしまった。
強烈な赤い世界に包まれ肌すら赤く見える。
人間は視覚情報に支配されている。色彩を奪われ気が狂いだすのにそう時間は掛からなかった。
不安や焦燥感に煽られ、苛立ちがみるみる募っていく。
異変は色だけではない。
一般人から隔離するために作られた超広域結界内に、大量のナバリが出現した。
その光景は異常で、去年の秋に起きた百鬼夜行事件の非ではないぐらい、空や地上がナバリで埋め尽くされた。
特位四斗蒔透夜の身柄確保のため、結界内に入っていた術士達の悲鳴が四方八方で聞こえ始める。
ある者は喉を噛み切られ、ある者は腸を食い荒らされる。
混乱と怒り、赤い世界に対する怒りが場を支配する。
携帯を始めとする電子機器が使えなくなったことも、術士達を混乱に貶める原因となった。
場は混乱を極める。指示や統率は意味を成さなくなり、逃げ道はない。
まるで野生動物と一緒に檻に入れられ餌になる運命しか残っていない場に、無理矢理放り込まれたような。
普段狩っているナバリの恐ろしさを痛感する。
奴らは妖怪、幽霊などと呼ばれ常に人間に牙を向いてきた。
どうやら場の空気がナバリを凶暴化させているようであり、普段なら有効な術が全く歯が立たないでいる。
雑魚ナバリに区分される個体も、今は特位クラスにすら思えた。
此処は狩り場。人間は、食い殺されるだけの餌である。

 

 


 

 

 


真冬の夜空の下だというのに、全身汗だくであった。
自分から放出される熱で下着や靴下が湿っているのがわかる。最悪な気分だ。
今すぐ暖かいお風呂に入りたい。そんな事を考えながら、目の前へ突き出す両手に力を込めるが、双眸は強い意思でつむったまま。

 


『ねえ巌さん。うちらのボスって、サンタみたいなおじいさんじゃなかった?急に爽やかイケメンになられても、受け入れられないんだけど。』
『俺にはガリガリのじいさんに見えてたけど。』
『え。』
『受け手側のイメージでいくらでも姿変えてたんじゃないかな。実態はなく、恐怖心の擬人化、って言うの?人間は今まで見えないものに形を与えて、勝手に怯えてきた。それが冥王の根源だって平川のおっさんが言ってたっけね。』
『アタシ、サンタ嫌いじゃないけど。』
『ハハ、そりゃ良かった。』

 


何故今そんな他愛ない会話を思い出したのだろう。
恐怖心の擬人化。なら、この光景はまやかし―。
閉じていた目を恐る恐る開く。
空は赤いままだったが、飛び交う無数のナバリは大幅に減って、見たくも無い残虐な光景は消えていた。
藍佳がいるビルからは、地面に倒れる術士の姿が確認出来たが、血に染まっている様子はない。
巌さんの言う通り、恐怖心が見せていた集団幻覚、ということにしておこう。
ぶっちゃけ他人を心配している余裕はない。
四斗蒔透夜がバッチリお膳立てした場所で、四斗蒔透夜があらかじめ張っていた結界を引き継いだ。
武蔵国結界が作用する東京全域、神奈川の半分、埼玉の半分という超広域を覆って維持するのは至難の業であったが、これまた四斗蒔透夜が手配した結界術師四人が補助役として後ろで手伝ってくれているおかげで、点と線を結び続けるという簡単なイメージのみで保持が出来ていた。
それが数分前、急に結界内に尋常じゃ無い圧力が掛かり始めた。
結界術師達が居てくれなかったら、驚きで結界を解いてしまっていたかもしれなかった。
慌てて補強と維持に力を注ぐも、内側に現れた圧力を押さえ込むのに汗だくになっていた。
後ろに控える結界術師達の姿は見えないが、呪文を唱える声に焦りの色が滲んでいる。
藍佳は自分が張ったわけではない三角錐の守りの中で、肩に力を込めるイメージで結界維持に尽力する。

 

「全く・・・。お前は本当にろくな事をしないな。」

 


視線を上に向ける。
宙に、平川晩丈が浮いていた。
杖を掴み、軽蔑の眼差しで藍佳を見下ろしていた。
術士協会が手配した護衛達が、藍佳の前に立ち平川を警戒する。

 


「我が主はめでたく復活なされたが、現世の空気に馴染むために今しばらく時間がかかる。完全復活されるまでの間、私が煩わしい結界解除を申しつかった。
目障りだ、消えろ、落ちこぼれが。」

 


手にしていた杖の先から、紫掛かった黒い閃光が放たれる。
立ち塞がる術士達の体を貫通し、藍佳に迫る。
体に力を込め身構えていたが、痛みはない。
藍佳の視界が赤くなる。
目の前に現れたのは、今日も派手なスニーカーを履いた、見慣れた鬼の背中だった。

 

「巌さん!」
「おいなにをしている巌沢・・・。お前も裏切るつもりか。誰のおかげで鬼の力を得たと思っている。」
「そこは感謝してますよ。平川さんが俺を見つけて推薦してくれなかったら、人を殺す快楽ってやつを味わえませんでしたからね。あんたらといるのは楽しいんスけど、」

 


長い腕を地面に付けて、宙に浮かぶ平川を白濁した双眸で睨み付ける
開けた口から白い息が漏れ、鋭利な牙が覗く。

 


「この子は殺らせない。」

 


髪とスカートが風で揺れたのを感じてから、それが人鬼がジーンズを履いた足でコンクリートを蹴ったことによって起こった風だと理解した。
一瞬で宙に浮かぶ平川の前に移動した鬼が、引いた右拳を振り下ろす。
が、平川もまた一瞬で鬼の背後に移動し先端に黒い球を付属させた杖を鬼の右肩に突き刺した。
赤い皮膚から肉が焼けるジュッという音と煙が上がる。
首だけで振り向いた鬼は白濁し眼で平川を睨みながら杖をぐっと掴み、素早い動作で左腕で平川の顔を殴った。
まともな攻撃が入り宙でよろけ二、三歩後退する。鼻を押さえた指の間から血が流れるのが確認出来た。
杖の具現化を解いて鬼の手から逃れさせてから、左手の中に出現させ力を込める。
白濁した鬼の目に、輪郭線が生まれ虹彩と瞳孔らしきものが描かれた。
まぶたの筋肉が動き目を細めると、体をひねりながら身を低くして平川の腹部めがけタックルをする。
杖から黒いビームが放たれたが、首を器用に倒し一撃を避けると狙い通り肩で平川の体を吹き飛ばした。
痩せ型の体が弧を描いて飛ぶのを追って鬼も飛び上がり、両手の拳を握り合わせ隙だらけの腹部に叩き込むため振り下ろす。

 


「舐めるなよ、青二才が。」

 


鬼が目を僅かに開いて反応を見せたが、遅かった。
爆煙が急に上がり、藍佳の目の前に何かが落ちてきた。
コンクリートが剥がされ細かな破片が藍佳を守る三角錐の結界に弾かれて音を立てる。
そこに腹ばいになって横たわっていたのは、人間の姿に戻った巌沢であった。
上半身裸の皮膚から煙が上がっている。

 


「その力を与えたのは冥王様だが、誰が主であるか忘れたか、馬鹿者め。
私が操って日本中に転移させてやっていただろうが。」

 


心底軽蔑した眼差しと冷たい声が巌沢の頭付近で響き、杖を構えた平川が遅れて姿を現した。

 


「契約解除だ。お前はもう鬼にはなれん。用済みの駒は此処でひと思いに消してくれる。
私の邪魔をした罪は重いぞ。地獄で永劫の苦しみに悶えろ。」
「巌さん・・・!!」
「だめだ、藍佳ちゃん。」

 


両腕を下げ結界を解こうとした藍佳を、掠れ消え入りそうな声が留めた。
巌沢の肩が僅かに震え、頭が動き顔だけ藍佳に向いた。
一重の細い瞳をなんとか開いて、藍佳に微笑みかける。

 


「せっかく、新しい居場所が出来たんだ。守るんだ、君が。」
「巌さん、だめ!」
「頑張れ、藍佳ちゃん。」

 


鬼の姿でもなく、人の姿で微笑んだ男の背に、大きな穴が開く。
その穴は闇であった。体の内組織や血液はなく、ただ虚無が覗いていた。
次の瞬間、巌沢の体は内側から爆発しそこには何も存在しなくなっていた。
肉片も血痕も、彼がとても大事にしていたスニーカーすら。
指先が震えて目の前が霞む。
叫びだそうかと迷う口が金魚のように開いたり閉じたりを繰り返す。
目の前に立つ灰色髪の男が、再び杖を構えるのが見えるが、何も反応出来なかった。
平川が藍佳に向け再び杖を構える。
もうこの手を下ろしてしまおうかと悪魔が囁く。
全部終わりにしてしまえば、楽になる。
肩の荷も全て綺麗に下ろしてしまって、それで―。
ダメだ。元の自分に戻りたくない。
落ちこぼれだと指差されて生きてきたせいか、卑屈で陰湿な自分はもう嫌い。
巌さんは世界の広さを教えてくれた。
次の場所へ導いてくれた。
―頑張れ、藍佳ちゃん。
私は、私でいたい。

 


「生意気な顔を向けるな小娘!」
「うるさいジジィ!アンタなんか大っ嫌いだ!冥王の金魚のフンめ!」
「・・・殺してやる。」

 


藍佳を守る結界に黒い弾丸の攻撃が降り続ける。
維持している結界の出力が減った。後ろに控えている結界術師達何人か倒されたのかもしれないが、確認している余裕はない。
張っている緊張の糸を少しでも緩めたら一気にはじけ飛ぶ。そんな予感は強く感じている。
ダメ。此処であたしがこの街を、この世界を守るの。
そうすれば誰もあたしを落ちこぼれだなんて馬鹿になんかしない。一人になることも―。
上げている腕の筋肉が悲鳴を上げる。指先にもう感覚はなく震えている。
三角錐の結界にヒビが入るのを視界ではなく耳で確認する。
生天目結界は守るだけで攻撃の手はない。だからボスから妖怪かまいたちを借りて契約していたが、秋に取り上げられてしまった。為す術がない。
心は折れてないのに、手段がない。
一体どうしたら―。

 


「ああ、口惜しや・・・。」
「っ!?」

 


藍佳のすぐ隣に、見知らぬ女性が立っていた。
赤い世界のせいで色味の判断が難しいのだが、恐らく緑の着物を着た、ショートカットの女性である。
可憐な大和撫子の頭には動物のような三角耳、お尻にはふさふさの尻尾がついている。
人なのかナバリなのか、藍佳には判断つかなかった。

 


「さぞ、無念にございましたでしょうな。」

 


藍佳に話しかけているのでは無く、独り言を吐いているらしい。
俯き加減に、全身から気だるさと哀愁を滲みだしている。
草履でコンクリートをこすりながら藍佳の側まで小股で進んでくる。

 


「夏海様、透夜様・・・。どこへ行ってしまわれたのでしょう・・・。主がいない式神など・・・ああ、ああ・・・!」

 


知った名前に藍佳が反応する。
女性は顔に手を当て涙ぐみ、震えた声を絞り出したかと思えば、やや上に浮かんでいる平川をギッと睨み付けた。

 


「私から大切な我が主を奪ったのは、お前か!!!!」

 


急に大声を上げて叫んだ。
その声は終わりに行くほど低く太くなり、それはもう女性の声帯でなかった。
藍佳の目の前で、女性の体は膨張し、着物は破れ消えた。
そこにいたのは、淀んだ茶色の体毛を持ち成人男性より一回り大きな犬であった。
鼻先に皺を寄せ、横に裂けた口から鋭利な歯が覗く。
体から黒い靄のようなオーラを纏っている。
街で見掛ける獰猛な野犬の類いとは比べものにならないぐらい凶悪で醜悪な顔をし、上下に裂けた口はもっと裂け、長い舌が口からはみ出て垂れ下がる。
睨み付ける目はへこんでいく。肩辺りの筋肉が膨れ上がり、藍佳の腕より太い後ろ足で地面を蹴る。
目の前に飛び込んできたのは、平川が左肩から胸にかけて犬に噛みつかれている光景だった。
太い牙が平川の肉に食い込んでいるのが藍佳の場所からもよく見て取れた。
残った右腕で犬の眉間辺りを必死に叩くが、犬は一度噛みついたまま放れず、そのまま首をひねって、平川の半身を噛み千切った。
反撃らしい反撃も出来ず落ちる平川の体を追いかけて、犬もコンクリートの上に着地しながら、今度は喉元に噛みついた。
最期になにか叫んでいたような気がするが、掠れた声は何を告げようとしたのか分からなかった。
藍佳から少し離れた場所に落ちた平川は、動かなくなった。
水たまりのようなものが、地面に広がっている気がするが、有り難いことに詳細はわからない。
藍佳の傍らに、再び和服の女性が立った。
相変わらず気怠そうに、悲しげに首をもたげる女性が、藍佳の前まで草履を鳴らしてやってくる。

 


「あなた、透夜様に頼まれて結界を張ってらっしゃるのね。」
「ひっ、あ・・・はい。あなた、四斗蒔透夜の、式神・・・?あいつ、死んだの?」

 


式神は何も言わず、下唇を噛んだ。

 


「夏海様・・・わたくしが作った料理をおいしいと喜んで食べて下さいました。
犬神である私に名を下さったのも夏海様が初めて・・・。ああ、また大切な主を守れなかった・・・!」

 


口端から黒い靄が再び漏れる。

 


「あ、あのさ・・・。あの兄妹がどうなったかはわからないけど、ちょっと手伝ってくんない?
というか、守ってよ。この世界が滅びるってまだ確定してないなら、帰る家、大事なんでしょ?」

 


傾いていた首が真っ直ぐになり、式神の目に光が戻っていく。

 


「ええ・・・、ええ!そうです。その通りですわ。私はあの家を、透夜様と夏海様が帰る場所を守る責任があります。透夜様があなたに都を託したなら、守りましょう、この犬神まろんが。」

 

ああ、なるほどなと藍佳は心の中で先程の野蛮な戦い方を納得した。
人間の欲と業が産んだ妖怪までも従えてる四斗蒔透夜がさらに末恐ろしくなるが、今は心強い。
犬神にはああ言ったが、この空と張り詰める緊張感。嫌でも身に覚えがある。
武蔵野国結界は解け、隠士のボスでもある冥王が復活した。
つまり、四斗蒔透夜は負けたということになる。
まだ微睡みの中なのか直接攻撃はしてこないが、必ずこの結界を解いて外に出ようとするはず。
気合いを入れて、結界を張り直す。
―頑張れ、藍佳ちゃん。
頑張るよ、巌さん。せっかく生きてて楽しいと思えてきたんだ。
自分の住む場所ぐらい、自分で守ってみせる。
これはきっと、罪滅ぼしにもなるはずだ。

 

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