第四部 消えゆく流れ星8
耳の横を勢いよく通り過ぎる風を切る音から一拍遅れて、軽やかな鈴の音が頭の後ろで鳴る。
それは鈴ではなく、突きだされた錫杖の輪が重なって甲高い音を奏でた音。
頭を右にずらして突きをかわした所、追い打ちを掛けるように腹に向かって突き出してくる別の錫杖の柄を握りしめ、引きながら膝で折り、持ち主の顔面に掌底打ちを決める。
白衣に身を包んだ式神は、渦のように体を歪ませて消えた。
消えた個体の後ろからまたしても同じような格好をした式神が薙刀を振り下ろしてくる。
切りが無い。
しかし蘆南星爾は特に焦った様子も無く、ビルの屋上と屋上を飛び回りながら、常に六体程でつきまとってくる式神をひたすら倒し続けていた。
結界の外で各主要神社の神主達が寄越す、顔布の模様だけが違うだけの無個性な式神達。本来の狙いは透夜なのだろうが、今この時空にいないため同じ力の波動を持った星爾を執拗に追いかけ回す。
数に物を言って持久戦に持ち込み、力を削ぐ魂胆なのだろうが、厳しい修行を乗り越えた星爾はまだ集中力を乱してはいない。
ただ、気がかりは透夜だ。
儀式を行うため別空間に消え、武蔵国結界が解かれたのは確認したが、気配を見せたのは冥王のみ。
透夜は一向に帰ってこない。
水魚の交わりという術により一心同体となっている自分が消えてないので、まだ命はこちら側にあるのだろうが、どうもおかしい。何かトラブルが起きていることは明白だった。
早く透夜の手助けに向かいたいところだが、手がかりも無ければ、つきまとう虫を一緒に連れて行くわけにはいかず次の手に移れない。こいつらを透夜のもとに連れて行けば、それこそ神社側の思惑通りだ。
もう武蔵国結界が無いのだから諦めればよいものを。
突然、体を覆う不可視の力に覆われた。
何事かと足を止める。
不思議なことに、今まで息の合った攻撃を絶え間なく浴びせていた式神達が武器を下ろし、辺りをキョロキョロと見渡した後、どこかに飛び去ってしまった。
星爾が振り返る。
後方に五歩離れた辺りに、紺の上衣と紺の袴に身を包んだ少年が静かな顔で立っていた。
大きな瞳を持ち、白い広いおでこが特徴的な少年を、星爾はよく知っていた。
結界内に自分を閉じ込めることで力を遮断し、視力ではなく霊力で敵を認識していた式神達から一時的に隠してくれたのも彼であろう。
彼の前に歩み寄って、自分の胸より低い背丈しかない少年と対面する。
「助かった。元気そうだな、須麻。」
「畢様も、お元気そうで安心したしました。」
蘆南星爾が育ち厳しい教育を受けたひきつぼし星団で、小姓として身の回りの世話をしてくれていた少年―須麻喬三郎は、しっかりと頷き表情を柔らかくした。
最後に会ったのは、去年の夏。
半年で背丈は伸び、立ち姿もどこか逞しく見える。
彼もまた世間を知らずひきつぼし星団の中しか知らない子供だったが、外の世界を知り色々と学んでいるのだろう。
彼にわざと使いを出させ、術士協会に捕まるよう仕組んだのは成功だったようだ。
あんな腐った場所で一生を終えるには、若く、そして才能がもったいないと思っていたのだ。
「もうその名は捨てた。俺の本当の名は、蘆南星爾。」
「あしな、せいじ様・・・。」
一文字ずつ噛み締めるように呟いた少年が、表情を引き締めた。
「では、星爾様。お力添え頂きたいことがあるのです。霊力をお借りしたいのですが。」
「ああ、好きに使え。」
礼を言って、須麻は両腕を胸の高さまで掲げた。
足元、それから体の左右に紫色の線で描かれた四角い陣が現れた。
掲げた両腕を真横にずらし、遠くに見える高い電波塔に絡みつく黒い雲を見据える。
星爾がその陣に触れると、四角い陣がそれぞれ別々に自転を始めた。
頭上の空が、徐々に暗くなり赤い色が青に変わっていく。
元々の、夜の紺が静かにそこに立つ。
精神異常を引き起こしかねない赤い世界から解放されたおかげで、星爾も無意識に短く息を吐いた。
「冥王の霊力支配を祓ったのか。」
「一時的に支配から解放させただけです。」
「確実に強くなったな。」
「薬師寺さんに色々と教示頂いているおかげです。もちろん、星爾様の教えも忘れておりません。」
「そうか。」
「お前がいるということは、まだ透夜は無事らしいな。」
別の低い声が静かな夜を割って降り立った。
黒服が夜を更に暗くさせて近づいているかのようであった。
術士協会会長本郷が星爾に向かってビルの屋上を歩いていた。
その後ろには、秘書の川村、薬師寺も続いていた。
須麻が両腕を下ろし、陣も消える。横に並んだ薬師寺がさらっと須麻の頭を撫でた。
「今は協力して貰うぞ、蘆南。」
「はい、もちろんです。会長。」
「お前の鳥で仲間を外へ。」
「須麻、口を開けられる?」
「はい、可能です。」
星爾が右手をそっと掲げる。
空に現れた無数の灰色の鳥が東京中に飛び去っていく。
飛び回る灰色鳥の間を縫って、黄色い人影が一つ空を飛びスカイツリーに向かっていた。
帽子を手で押さえながら、かっこ良く滑降する菅原道真の風貌が変わる。
被っていた帽子ごと包んで髪が上に逆立ち長さも伸び、黄色い和服が黒く染まり、体の周りに黒い雲が生まれ出す。
「雷雲はオレ様の専売特許だろうが!どけ九尾!!」
黒い雲の周りを飛び回っていた白い影が止まり、スカイツリーから離れた。
右肩を回して腕を上げた菅原道真の手に、赤い雷が落ちて球体に変化する。
その球体が渦を巻きながら大きくなり、成人男性一人ぐらいならすっぽり包んでしまうほど膨張した。
赤い球体を、フルスイングでスカイツリーに投げる。
空気がパチパチと聞き取れるぐらいはっきりと音を立て、肌で感じる程電気が帯びる。
一直線に飛ぶ赤い球体が、周りの雷を全て吸って更に巨大化した上で、ツリーに直撃した。
爆風の後に、破裂音が遅れて響き渡り、纏わり付いていた黒い雲が晴れる。
日本で一番高い電波塔の特別展望台の上に、影があった。
大人しく後ろに下がっていた九尾の狐が、現れた影に向かって飛びかかった。
影の喉元辺りに噛みつくが、白い体が吹っ飛ばされスカイツリーの足元に建つ商業ビル屋上に落ちた。
「九尾さん!」
コンクリートに落ちて動かなくなった九尾の狐に、頼安が駆け寄る。
同時に、頼安と九尾の上に影が落ちた。
嵐のやや焦った声に顔を上げる。
やっといつもの空に戻ったはずの天井に、黒い影が通り過ぎた。
それは彼らの前、スカイツリーに登るエントランス出入り口の前に着地した。
首は牛、体は盛り上がった筋肉を持った巨体。いや―。
「牛鬼だ。しかも古の姿とありゃ、大物だな。」
頼安の前に降り立った菅原道真がそう言った。
口元は笑っているが、声はどこか張り詰めていた。
帽子を押さえながら、身を低くすると、彼の手首に巻いたアクセサリー達が音を立てる。
牛鬼は、江戸時代以降絵巻に書かれた蜘蛛の体を持つ姿が有名だが、伝承で伝えられている本物の牛鬼の姿は、西洋神話に出てくるミノタウロスに近い。
斧を構え、嵐も横に並ぶ。
「アラシちゃん、ついてこれるー?」
「はい。やらせてください。」
「妖怪には妖怪を。冥王とは相性が悪かった。オレ達はこっちの相手をさせてもらおう。
にしても、この菅原道真様に牛鬼、九尾の狐が同じ空間にして、極めつけはナバリの王かー。まるで祭りだね~。ま、場が乱れるほど透夜ちんには好機。テキトーに遊んで時間稼ごうか。」
菅原道真の目が赤く染まり、再び髪が逆立った怒れる姿に変化する。
「アラシちゃんは花弁に触れないようにしなね。―梅花。」
人差し指と親指で輪を作って口元にかざし、頬を膨らませて空気を吐く。
口から出てきたのは、大量の梅の花。
螺旋を描き噴出された。桃色の可愛らしい花弁が牛鬼の皮膚に触れると、紫に変化する。
「上は任せたかんねー!」
真上を見て叫ぶ菅原道真の頭上を、灰色の鳥に乗った本郷と星爾が横切った。
巨体二人を乗せた灰色鳥は急上昇し、スカイツリーの肌を撫でるように登り、中腹辺りで二人は飛び出した。
本郷は蹴りを、星爾は白く灯った拳を繰り出す。
手応えは無く、迎えに来ていた再び灰色鳥の背に着地する。
退治するのはただの黒い塊であったが、輪郭が揺らめき、手と首が生え頭が出来た。
内側から肌色が滲み、目と鼻、髪が遅れて生えた。
裾と袖が長い服を纏った人間の男の姿になった。
「幻獣召喚、東方青龍。」
灰色鳥の上で、手で印を作り星爾が大きな青い龍を召喚した。
鱗の重なりまで美しい龍であったが、その体は透けていた。
長い髭をなびかせ、体をうねらせた後、口を大きく開いて黒服の男―冥王を丸呑みしようと突進した。
半透明な青龍の牙が届く前に、口から半分に切り刻まれ空中で銀色の粒子が舞った。
冥王が動いた様子は無かった。
青龍が砕けた欠片の死角から、拳を握りしめた本郷が殴り掛かる。
拳は見えない壁に阻まれ男に届くことはなかったのが、拳が当たった箇所にヒビが入ったのが視認できた。
冥王が初めて反応を見せ、顔を本郷に向けた。
続いて体を回転させ蹴りを繰り出すと、冥王を守っていた透明な壁に走るヒビが更に大きくなった。
蘆南!と本郷が叫んだのとほぼ同時。本郷の真意をくみ取っていた星爾の白い弾丸が完全に壁を砕いて壊してしまった。
すかさず、空いた穴に本郷が飛び込み、冥王の周辺に針のようなものが刺さって、閉じ込める為の結界が発動した。
針を投げたのは、展望台の屋上にいた秘書川村であった。
本郷は秘書が動くことを既に予想していたのか、一瞥をくべることなく冥王の顔面に拳をぶつける。
が、本郷の体に紫がかった黒い閃光弾が着弾、数メートル後ろに飛ばされる。
本郷の体をその背で受け止めた星爾の灰色鳥が、彼をそっと空中に下ろした。
夜の冷たい空気が吹き荒れる空中には、川村が張った見えない足場が用意されていたため、体が落ちる事はなく、それどころか、本郷の体に怪我は無かった。
武骨な太い指でいくつか印を結ぶと、今度は本郷が先程体に浴びたものと全く同じ、紫掛かった黒い閃光弾を冥王めがけ放出した。
初めて腕を動かし、本郷からの一撃を軽く弾いて見せた冥王の顔は、心底煩わしいと文句を言っているようであった。
「術士協会の長にしては霊力が弱いなと思っておったが・・・そういう絡繰りか。」
冥王が右手を曲げたまま挙げて、死角からの蹴りを防いだ。
「それで、こちらは何かな。武力だけというわけではあるまい。」
膝蹴りを繰り出した薬師寺と睨み合う。
冥王の眼前から、白い咆哮が放たれた。直前で薬師寺が離れ、彼らと同じように空中に出来た透明の足場の上で、口から閃光を放つ九尾の狐がいた。
冥王が顔の周りを飛ぶ五月蠅い虫を払うように、軽く手を振っただけで九尾の一撃を弾く。
左右から本郷、星爾が、脳天を薬師寺が狙うも、オーラのような圧力が冥王の体から放たれる。
星爾と薬師寺は飛ばされたが、敵の霊力を無限吸収し自分の力に変換出来る本郷だけは冥王に挑み続けていた。
九尾の狐が冥王の首に噛みつこうと隙を狙い、星爾と薬師寺、後ろに控える川村も本郷をサポートする。
いくら冥王といえど、自身の攻撃を無効化され、さらに自身が放った攻撃を打ち返されてはストレスが募る。
余裕がなくなり荒くなって現れた隙を、彼らは確実に狙う。
下では菅原道真が暴れてくれているおかげでナバリが集まりつつある。
このまま場が乱れれば狙い通り透夜が―。
―本郷達の目の前で、蘆南星爾が消えた。煙が空気に溶けるように、あまりに自然な現象に反応が出来なかった。
「時間だ。」
冥王の落ち着いた声がやけに耳の奥で響いたかと思えば、彼らは揃って地上に転移させられていた。
地面が揺れ、先程までいたスカイツリーがやや遠くに立ち、電波塔の上部が折れゆっくりと落下していくのが見えた。
結界の空に、大きなヒビが入る。
「結界が壊されている・・・。生田目藍佳が危ない・・・!」
「私が行く。」
と、地面を蹴った薬師寺の足首を、突如現れた黒い触手が捕らえ地面に引き戻した。
気づいた時には、コンクリート張りであったはずの地面に闇が広がり軟化しており、波打ち始めた。
闇の中から無数の触手が伸び彼らを掴み、闇の中へ引き釣りこもうとする。
彼らだけではない、近隣に建っているビル群も真っ黒な闇に飲まれ崩壊を始める。
「人間というものまこと、面倒な生き物だな。他者を恨み妬み呪いを吐いたと思えば、己の無力さを見ようともせず浅はかで愚かな希望を抱いたりする。」
彼らの頭上、空中で黒い装束の裾を揺らしながら冥王が浮いていた。
「天狼星は宇宙に行ったよ。彼が開けた門のエネルギーは私が掌握した。
次なる次元へと流れるエネルギーを使って、私がこの星を書き換える。黄泉と現世の境界を祓い、死という概念すらない世界にしてやろう。」
本郷の能力は、闇から生まれた触手には一切効かず、誰もが何も出来ず、ただただ黒い泥のような世界に引きずりこまれるしか出来なかった。
最後に見たのは、冥王の冷笑と、空に走るヒビから落ちる欠片。
小さな穴から、本物の東京の空が興味津々といわんばかりにこちらを覗いてくる。
冥王が外に解き放たれようとしていた。