第四部 消えゆく流れ星9
紺色と黒の狭間の空に、星が無数張り付いてる。
集うそれらは口を閉ざしただそこで輝いている。それが当たり前だと言わんばかりに。
町の明かりが届かない七星の山奥で見た星空より、星は目視可能であった。六等星すらハッキリ姿を現している。
ただ、いつも見ていた星の位置と違う。
今は秋、いや冬になったのか。普段ならオリオン座、おおいぬ座が輝きを増し主張を強め、冬の大三角形がどこに居ても見つけられたのに。
それだけではない、まるで知らぬ星の並びをしていた。
七星の落ちこぼれとはいえ、腐っても四斗蒔家の人間。
星の位置ぐらい覚えているのに、今まで積み重ねてきた知識がまるでこの星空には通用しなかった。
知らぬ土地に来たのだとそこで察し、体の奥の方で震えが走った気もしたが、恐怖より目の前に広がる大パノラマの光景が織り成す美しさに、感動の方が勝っていた。
空だけじゃなく、地面にも星が並んでいる。
いや違う。並びが同じだ。ガラスで反射しているのか。巨大な空をそっくりそのまま映し取っている。まるで夜空が二つ存在しているかのようであった。
子供の頃、大きな月を見て掴めるのではないかと手を伸ばした事があった。
あれと同じ衝動に駆られ無意識に足を進めると、地面に波紋が広がったので、ああ薄く水が張った天然の鏡だったのかと理解する。
有名な外国の塩湖みたいに、どこまでも広がる水が、星の瞬きを息吹ごと閉じ込めようと夜空を映し取る。
星空と水が張った地面、そして自分。
それ以外何も存在していないと思っていた世界に、暗がりが生まれた。
視界の左側に、大きな岩のようなオブジェクトと、それに乗る人影があった。
今度はそちらに足を進める。水が揺らいで地面に広がる星空が歪んだ。
月明かりに負けないぐらいの星の明かりに浮かぶその横顔は、思わず息を飲んでしまうぐらい美しかった。
鼻先の湾曲から唇、顎までの曲線は彫刻作品のように計算された滑らかさで、背中に流れる黒い髪は、この暗がりにあっても絹のような繊細さが見て取れる。
羽織った衣服は、何重にも重ねた黒い大きな布。平安時代の貴族服のようだ。模様に描かれた細かな点は星座図だろうか。
岩に腰掛け眼前に広がる星空を眺めていた人物が、こちらを向いた。
とても、とても美しい人だった。
派手さはなく、かといって儚げという訳では無い。白い水仙のように凜としている。
白い肌は夜に溶け込めずぼんやりと浮かび、黒い瞳の中には、星が宿っていた。
足元に広がる水のように、目の前の星を映しているのではない。確かに星がいくつも瞳の中に存在している。
やや小さく薄い唇で微笑むその人が、女性なのか男性なのか判断出来なかった。
ただ、今まで出会ってきたどの人間よりも美しいことは確かだった。
「今晩は。」
「え、はい。こんばん、は。」
笑みを形作るためだけにそこにあるのではないかと錯覚してしまう口から声が漏れたので、喋った事実に驚きながら、戸惑いを乗せた声で挨拶を返す。
彫刻か絵画だと頭が半分疑っていたせいだ。
美しい人から放たれる声もまた、清らかであった。
弦楽器が奏でる音のように繊細で、深みがあり胸の奥まで響くような心地よさ。
けれど、やはり声も男性なのか女性なのかわからなかった。
この人の前では、そんな当たり前の定義無意味に思えてきた。
それと、挨拶は合っているのかと疑問が過ぎる。今が何時か、いつなのかすらわからない。
星が広がっているなら夜なのだろうが、この空間に朝という概念があるのかどうかすら疑わしい。
自然と、頭の中で此処は元の世界じゃないと理解していたのだ。
「座りますか。」
「いいんですか。」
「もちろん。さあ、此方へ。」
長い着物―近づくと、袖がふんわりした唐衣と長袴だとわかった―の裾を自分の方に引き寄せ場所を空けてくれた。
座って微笑んでいるだけなのに、その人の魅力に圧倒されてしまい、居住まいを正しながらちょこんと岩に腰掛ける。
隣の人は、また星空を見上げたので、同じように星を見る。
すると、そこにおおいぬ座が加わっていた。
先程見ていたときは無かったはずのシリウスが、青く力強く輝いている。
「知っていますか。」
美しい隣人が夜空をそっとかき分けるように優しく声を発した。
そこにいると理解しながらも、掴めぬオーロラのような存在だと思った。
「シリウスという星は、連星なのです。」
「連星?」
「双子の星のことです。二つの星が、互いに引き合いながら、回っているのです。
互いに影響を及ぼし、互いの存在によって回り続ける。
シリウスの連星はとても小さく、大きいシリウスの明かりで見えずづらいのですが、たしかにそこにあり、大きいシリウスと共にあります。」
鼻筋のラインが美しい横顔を盗み見ると、数秒遅れてその人も此方を向いた。
星明かりの下目が合って、どきりと胸が跳ねる。
「貴女もまた、運命の星。天狼星なのですよ。」
「あ、アタシも、天狼星・・・?」
美しい人が、しっかりと頷いた。
「ええ。私の五鈷杵が貴女を受け入れたのが、何よりの証拠。
選ばれぬ者の体内になど、何年もいるはずがありません。
貴女は大きい天狼星に寄り添う、小さい方の天狼星。とてもとても、大切な星。」
目を少し細めたその人は、再び星を見上げた。
星は地球上で観測するスピードより速く、右へ流れている。風に流される雲のように
「私の小さな天狼星は、先に寿命を迎えてしまいましたが、その後長い年月を経て生まれ変わった。」
「アナタは・・・摩夜様なのですか。」
「貴女がそう思うならば、摩夜なのでしょう。私が誰であるかは、然したる問題ではありません。」
「ずっと、此処にいるのですか?一人で?」
「この場所に時間概念は存在しません。寂しさもありません。ただ、待っているのです。
私の小さな天狼星を。」
こちらを向いた瞳の中にある星を、間近で観察する。
天の川があった。宇宙の始まりがそこにある。そんな錯覚を覚える。
「貴女は見事、此処に辿り着いた。貴女の想いに答えて、私の力をお貸ししましょう。
その血は七星のものではないから、どれぐらい貸せるかわからないけれど。」
「摩夜様、アタシはっ・・・。アタシ、戻っていいのでしょうか。
アタシのくだらない劣等感と嫉妬で、お兄ちゃんを危ない目に遭わせました・・・。」
その美しい人は宥めるように微笑んだ。
「助けたいと思う心があるから、貴女は此処にいる。未練があるなら、」
「・・・。」
「さあお行きなさい、小さな天狼星。星の導きがあらんことを。」
体が後ろに倒れる感覚がした。
実際に傾いたのかどうかすら理解する前に、目の前の人―摩夜と夜空が遠くに去って行き、視界の端から闇が広がる。
真っ暗な世界に体ごと投げ出され、体を構成する肌、骨、血、細胞までもが奪われていく。
四肢の感覚は閉ざされ、柔らかな幕に覆われ一時的に円柱のような形になった。
だが突然、重みを理解する。重力だ。
手足が生え、頭と体の重さを支えようと脳が働いた。
立っていたのは、闇。
闇の中で瞬きをした。数回をそれを繰り返し、次に聴覚が生まれ、野太い叫び声がかなり遠くで木霊しているのを聞いた。
野生の動物のような低い声がだんだんと消えていき、次にか細い音をキャッチする。
声だ。すすり泣く、子供の声。
声が聞こえる方に頭を向けると、フィルムが巻かれるみたいに視界がガチャンと切り替わり、燃えさかる森を前に立っていた。時間は夜であろう。先程より星の数が少なく見える。
後ろには崖。目の前の木々は赤では無く、青白い炎に包まれている。遠くで木霊するように鳴り続けるのは、人々の悲鳴。
熱さはない。息苦しさも焦げ臭さもないが、森は燃えている。
足元で、十歳ぐらいの子供が丸まって泣いていた。男の子だ。
地面に額を付け、肩を内側に入れ込んでる姿は、殻にこもろうとするアルマジロみたいだ。
「お母さん、どこに行っちゃったの・・・。一人は嫌だよぉ。」
情けない声で、声をどもらせ鳴き続けている。
「お父さぁん、迎えに来てよ・・・。消えたくない、消えたくないよ・・・。」
胸が締め付けられるような強い痛みで一瞬呼吸がし辛くなった。
それほど離れていない距離で、青白い炎はパチパチと音を鳴らしながら枝を焼く。
此処は乾いた土で出来ているので、炎はそれ以上距離を詰めてはこないが、淡々と森を焼いている。
天へ昇ろうとする焔は高く伸び、揺らぎ、立ち塞がる銅像のように豪胆なる出で立ちでそこに居続けた。
炎の柱は消えることはないだろう。この世界では。
すっとしゃがみ込み膝をついて、少年の背に片手を当てた。
「本当は生きていたかったんだよね。ごめんね。一人で我慢させて。
これからは辛いことも話してよ。支えてあげられるぐらい、強くなる。アタシはずっと一緒にいるから、お兄ちゃん。」
震えがピタリと止まり、泣き声も止んだ。
ガシャンとまたフィルムがスライドして、燃える森は消え、真っ暗な世界に立っていた。
立っている感覚はするのだが、足の裏は地面を捉えておらず、宙ぶらりんだ。浮いていると言った方が正しいのかもしれない。それすらわからなくなる。
「此処だよ、お兄ちゃん。」
闇の中に声を掛ける。
するとぼんやり白いものが浮かび上がり、だんだんと明度を増し青白い球体となった。
「そこにいたのか、夏海。」
青白い球体の前に、青年が立っていた。
彼を知っている。誰よりも知っている。
最愛の兄だ。
「探したぞ。」
「お待たせ、お兄ちゃん。」
夏海の後ろにもまた、白い球体が浮かんでいた。
透夜の球体よりかなり小さな丸であったが、たしかにそこで輝いてる。
「ごめんね。迷惑ばっかりかけて・・・。」
「お前に孤独を感じさせた俺にも責任はある。それより、家に帰ろう。まろんも待ってる。」
「うん!」
嬉しそうに微笑んだ兄の体の次に、夏海の体も光に吸い込まれるように消える。
残った二つの球体がくるくるとお互いの手を取り合うように周り、やがて闇は真っ白に染まった。
(ありがとう、父さん、母さん。俺の片割れを見つけてくれて。)
*
一般人の目からナバリを遠ざけ、現世と全く同じ作りの異空間を展開していた生田目結界にヒビを入れた。
が、そこから穴が広がらない。
落ちこぼれとはいえ、生天目家の血筋。他にも別の結界が多数作用し何重もの防壁を築いているせいで、なかなか本丸を破れずにいた。
だが時間の問題だ。
五月蠅い虫は全て闇に捕らえた。
冥王の目が映す東京都心は、崩壊していた。
高層ビルは一つ残らず崩れ傾き、地面を覆う黒い闇に飲まれている。
生きているという意味では生物は一つも残っていない。
崩壊したビルの上を彷徨い、または空を飛び交うナバリだけがそこが自分達の世界だと豪語するように蹂躙している。
封印されていた冥王の魂は解放され、新しく成した体に馴染み始める。
まだ人間であった頃、闇の力を欲して禁術を使い人間では扱えぬ常世の力を手に入れた。
それは生者では扱えぬ。死者とナバリに近い。故に冥府を統べる王と呼ばれた。
全ては、摩夜を手に入れるため―。
摩夜は強く美しく、自分では手の届かぬ場所にいつも行ってしまう。
何にも執着せず、花のように目を惹くくせに、風のように落ち着かない。
渦巻いていたのは、支配欲。自分より強い術士である摩夜を屈服させ越えてみたいという子供のような自尊心であった。
「俺はお前を越えるぞ、摩夜。この星の闇を引き連れ、黄泉の因果を纏い、宇宙の理を手に入れた!これでお前は俺の―――っ!?」
現世とは思えぬ異質な空間となってしまった結界内の東京が揺れる。
声高らかに、空を割る程陽気な笑い声を響かせていた冥王が動きを止めた。
笑い声と止め、違和感に首を回す。
そこは、東京ではなかった。
空には無数の星が冥王を睨むように鎮座し、足元は白く目映く灯っている。
数分か、数刻前かわからぬが、確かに崩壊し脱出した筈の、天狼星の間であった。
「馬鹿なっ、そんな筈は―」
「待たせたな。」
床というより光の塊であるかのようにおぼろげで光明が揺らぎ続ける足元から、人間の頭が二つ生えてきた。
それは下から伸び続け、二人の人間に成った。
右に立つのは、白い上衣と袴に水色の上掛けを羽織った男。
左に立つのは、現代服を身に纏った女であった。
二人の姿を見て、冥王はあからさまに表情を歪め眉間に嫌悪感を宿し、無意識に左足を一歩引いた。
「そんなはずは―!妹の方は確実に魂が崩壊していたはずだ!肉体はとうに朽ち果て消えた!お前も、宇宙の流れに取り込まれただろうが!!」
ふと、夏海の周りを彷徨う金色の影が目に入る。
それは摩夜が所有し夏海の体内に保管され、先程の儀式で消えた筈の五鈷杵であった。
「この五鈷杵が夏海の魂を収納してくれていたおかげで、黄泉に落ちる前に取り返した。
といっても、黄泉はお前が引き上げたせいで機能不全。魂は彷徨うだけに留まり簡単に手に入ったぞ。」
透夜が勝ち誇ったような笑みを口元に宿し、反対に冥王は唇を悔しげに噛み締める。
「体は七星で手に入れた冥王の抜け殻と、対価は過去に俺の両親が支払い済。
理が歪んでる今なら、何しても許してくれるだろ。俺も契約結んだし。」
透夜の右目。その奥が蠢いた気がした。黒い筈の瞳の中に、星が宿っているのを冥王は確認する。
「門をその身に宿しただと!?ありえん!」
「契約は成功してる。俺自身が宇宙の門、流れの出入り口になることで、存在すべてを捧げこの星の瞬時次元以降は回避した。俺は存在を許され、宇宙は流動的にこの星に関与できる。
お前を理に戻して宇宙に放り込む算段だったが、意外なところで冥王の抜け殻が役に立った。礼を言うよ。だが、大人しく滅しろ。」
透夜が指で印を作り呪を唱える。
兄妹の間に白い虎が顕現し、ブルブルと体を震わせた。
「やっと出番か。待ちわびたぞ。」
「ただいま、白虎。」
「お前のお守りという誓約が溶けて儂はせいせいしておったぞ。」
「また会えて嬉しいくせに~。」
「フン。足枷が無くなったのだ。思う存分奴に噛みつけるというもの。」
「そうだね。行こう、お兄ちゃん。」
「ああ、此処で全部終わらせる。」
二人と一匹は、眼前の敵を睨み付けた。
現世と常世の狭間にいると言われたナバリの、その頂点と恐れられナバリの王と言われた男。
その存在全てを消し去る、最後の戦いが始まる。